2019年8月12日

天心とミルの高尚

岡倉天心は真理を説いていたものだ。日帝による迫り来る戦乱のさなか、彼は茶でも飲んで落ち着こうと云う。数寄な茶室を五浦に普請し、できた六角堂の窓から太平洋の波濤を眺め、潮騒に包まれつつ、侵略戦争で文明人と称賛される位なら、平和な芸術に耽る野蛮人と呼んでくれて構わない、と書き残した。天心は当然皮肉をいっているのだが、そこで批判されているのは本質的に天皇を操る薩長藩閥の偽善であり、軍国主義の浅ましさであり、欧米思潮の浅はかさであり、松陰侵略主義の猿真似加減である。天皇戦争責任に直接触れず日帝の蛮行を揶揄し、彼は東洋の伝統に帰順した。即ち、世に道なくば隠遁せよ。
 東京で下賎な金儲けや売名に耽る位なら、確かに故郷で無名の隠士として生きた方がよい。俗悪な亜流文化の担い手に列記される位なら、確かに一文無しな主流文化の最前衛であった方がよい。満足した豚より不満足なソクラテスの方がよい、とミルがいった質的幸福感は、天心のせりふと呼応する点がある。