2019年7月25日

菊と刀の擬制論は決して一般論ではない

(NHKは有能な各記者に、文科省や教育委員会が有能な各教員にヘボさせている、とするツイートへ)

この論理は、『菊と刀』だったと思いますが、ベネディクトが皇室の存在を説明するときに使ってました。すなわち菊は皇室の象徴で、実力のない上位者の象徴。実権を握っている刀は武士の象徴。日本人なるものは巧妙な表裏を使い分け、無能な上位者を有能な下位者が支えているという国民構造論です。
 有名無実な皇室がベネディクトのみた忖度の起源だったといえますが、一方、その種の擬制は日本以外でも、封建制の名残がある名目王権などに残っていますし、一般組織でも官僚制の結果はびこります。天皇制の組織的腐敗は平安期頃すでにあったので、新皇将門が独立政権を主張し、武家政治が出現した。
 もし中央政府のみならず、公的教育機関にも擬制(ここでは法律用語ではなく、形式を守る為の虚構じみた制度的擬態の意味)がはびこってるなら、それは組織が官僚主義で腐敗している証拠といえます。国内の制度疲労があちこちにあるんだと思います。

 私個人の意見としては、下位者が有能で上位者が無能というものの見方は過度の一般化で、実際には通常、下位者の方が無能だと思いますね。例外はあります。しかし下位者が十分有能なら組織全体が腐敗するはずもないですから。自ら制度改良できず、無能な人を忖度する時点で無能だともいえますからね。
 日本人一般が無能であり、個々の記者も「忖度文化」をもっている保身で空気を読むだけの無能だから、組織改革できない。先進国で基本な王権神授説の否定、政教分離、或いは市民革命に基づく皇室廃止もできていないわけで、日本人の下位者一般も、政治面で十分すぎるほど無能なのは明らかと思います。
 NHKや公教育の下位者が、一般的に上位者より有能とする根拠がみあたらなかったので、ここでの論理はベネディクトの擬制論法と同じものを用いた、一種のNHK・公教育機関へのあてつけになっている様に思います。もし本当に両組織系の下位者が一般的に有能と定義できるなら、なんらかの証拠が必要です。