今日から高学歴の人の知性を信頼するのはやめることにする。これで今まで何度も失敗した。逆差別も一種の偏見だと悟った。私が想像するより遥かに愚かな高学歴の人が、私のみたほぼ全員だった(一仏人を除く)。少なくとも日本国内の大学を出ていて高学歴とみなされる範囲では、例外なく全員だった。
「まさか博士だからこれくらい分かる筈だろう」とか、「東大卒ならこのくらいのこと少しいえば分かるだろう」という想定を、私は知らずしらず無意識にもっていて、当然のよう相手の知性が自分より遥かに低い(しかも私が接した全員)なんて気づかなかったのだ。一を聞いて十を知る人は学歴と関係ない。
学歴差別は、一般論として無意識に低学歴の人に向けられる。だが私はIQと学歴にすら擬似相関しかないと知っているからこれを全くやっていなかったが、盲点だったのは高学歴の人に自分以上の知性を当然視してしまっていたことだった。典型的学歴とIQが正相関していないから当然といえば当然だったのだが。私は相手の知性を低くみつもりすぎることが失礼にあたる上に、社会的功利性からいうとより高度な内容を語った方がましだから最低でも、高く見積もりすぎる方が増しだと考えていた。だが高学歴逆差別という偏見をもっていると、逆に空振りが多すぎるのに、さっき完全に悟った。
愚かな博士とか、愚劣な東大・京大院卒の「個人」を頻繁かつ詳細にみると、知性そのものと学歴には何の関係もないのだなと実感する。しかしこれが「一般」にいえるとは、想定していなかった。つまり博士は一般に自分が想定しがちなよりずっと愚かだとか、東大京大も無知の範囲が自分より甚だ広いとは。私は芸大にもはじめ、似た様な虚像を想定していたと思う、そしてそれは無知だった。
大学の権威なるものは、一言でいうと完全に嘘でしかない。そこで有知な範囲は極めて限られていて、我々が一般に想定しがちな程度を遥かに下回っている。アカデミズムを理解するとはそういうことでしかなかったらしい。