「複雑な物を複雑なまま理解したい」との常套句で、本質を抽き出す洞察力を否定する人間は、総合的思考を苦手としている。一方、過度の単純化と、本質の抽出は異なっている。
各科学は分析的思考を、全科学を含む哲学はそれに加え総合的思考も使う。
「愚者は物事を過度に複雑化する」といったアインシュタインの言葉は分析的思考の非総合的性質(詳しすぎてまとまらない思考)を、Gordon Hodson論文によれば「右翼は物事を過度に単純化する」のはその逆、即ち総合的思考の非分析的性質(大雑把すぎて差別的偏見に陥っている)を示しているのではないか。これらは物事の捉え方の解像度が各々的中でない点でどちらの場合もピントぼけ、見当違いの意味だ。アリストテレスも同様に、『ニコマコス倫理学』で対象に応じた厳密さが必要だが、それを知らないのは無知によっていると述べている。
抽象(抽出、抽き出し、abstraction)が本質をそうでない部分(現象)から見分けてとりだす思考を指すとすると、過度の単純化がもたらす確証偏見はその失敗である。つまり抽象化とは総合的思考の部分だが、本質をとりだせず厳密性を欠くばかりか不正確な見解を持つと、過度の単純化になる。また詳述が対象に不適切なだけ行き過ぎると過度の複雑化になり、ふさわしい全体像を捉えられなくなる。結局、対象に応じた中庸、中程度の認識が最も思考を正しく使うことになる。これを思考の中庸と呼ぶ。