2019年7月5日

全員投票制について

枝野独裁vs安倍独裁、立憲寡頭政vs自民寡頭政、どっちを択んでも絶対に悪い結果がくるのだから、日本の選挙は消去法で間違わせる目的しか持ってない。かといって現状維持でも最悪な結果だし、なぜこの国の国会政党は有徳な人物を党首にできないのかから分析し、そこから直さないとどうしようもない。

 プラトンが古代ギリシアで直面していた政治的腐敗と、令和初期の日本のそれは次の点で類似している点がある。政治権力と政治道徳が一致しなくなり、安倍独裁のもとで自民寡頭政(クリティアス三十人政権と類似)が暴走し、対抗馬にも理想としての正義がない(枝野独裁下での立憲寡頭政を志向)。
 プラトンは著述『国家』で、正義を四元徳(生産者の節制、防衛者の勇気、統治者の知恵)を統合した国家において発揮される徳と定義し、これを青年に説き当時の政治腐敗からギリシアを救おうとしたと思われる(学問的には当時の政情とプラトンの啓蒙教育がどの様に関連していたか詳細な研究書が欲しい)。
 政治と道徳(特に公徳)の不一致は、安倍氏が模範にしている薩長藩閥(明治寡頭政治)の特徴で、いわゆるマキャベリズムに近い侵略テロによるクーデターを説いた吉田松陰イデオロギーを彼が受け継いでいるからといえるだろう。そこでは絶対的暴力による恐怖政治が、いかに不道徳でも正当化される。
 枝野氏は表向き立憲主義を標榜しているが、彼の支持者らをつぶさに探ればすぐ気づくよう彼の独裁に基づく立憲一党の寡頭政を目指している。枝野氏が他党や他党に属する有力議員との協力をしばしば排斥するのはこの為だ。枝野氏の公徳の程度からみれば、安倍氏同様、早期に腐敗するのは目に見えている。安倍氏や枝野氏は小沢一郎氏や海外で常識的な政権交代文化を拒絶し、強力な独裁者(僭主)のもとでの一党寡頭政を目指す。なぜなら、安倍氏や枝野氏は「絶対権力は絶対に腐敗する」ゆえ定期的に政権交代が必要、という歴史鉄則に無知だから。この点での政治道徳を持たない党首同士が首相を争っている。
 プラトンの政治学が多少あれ正しければ、最も公徳の高い人物が党首となり、或いは行政の長(首相)に公選される必要がある。だが私にそうみえる小沢氏(政権交代文化の導入者)は、日本国民全般の政治理解が愚劣過ぎる余り、冤罪や汚名を着せられ地位を得られないでいる。そして僭主が跋扈している。

 最初に述べたが、先ず公徳の面で有徳な人物を選出する、という基本のしくみが日本の選挙では成立していない。逆に地盤・看板・鞄といわれる世襲の政治資本がなければ立候補も当選も危うい。安倍氏や副総理の麻生氏はまさに親の政治資本を継いだ世襲政治家で、公知公徳の面ではみなに疑われている。
 今日の政治腐敗の根源にあるのは、多数政(民主主義)の建前をとりながら、実際には自民党議員の親を持っていなければならないという、世襲の自民寡頭政が実態なことだ。この点を抜本的に変え、政治資本が全くない状態でも、つまりカネもコネも名もなくとも等しい条件で公選され得るしくみが必要だ。ここで最も重要なのは、或る人物が議員(または大統領)としてふさわしいかの判断基準は、彼らのもっている公徳のみによらなければならない、という点だ。私のみた範囲で、議員を容姿で択んでいたり(ある都内女性ら)、自民に属していることを理由に択んでいる人もいた(ある千葉県女性)。これらは政治腐敗の原因だ。
 政党が共通の政治信条に基づき、党是に反するいかなる異論も封殺する結束集団だ、という日本人全般が抱いている極めて歪んだ観念は、当然ながらこの国に独特のもので、通常は個人の思想信条に基づいて二大政党のいずれか、または自分の考えに近い政党に属するか、単独候補になるだけなのである。そもそもこの「政党は個人の意見を封殺する結束集団でなければならない」という日本国民全般の持っている集団主義的妄念は、一言でいえば民族病、風土病といったものだから、治療が必要だ。個人の思想信条が弾圧され当然とする空気、それは義務教育等で神道に洗脳されていなければ生じ得ない筈だ。
 立法と行政を分離する為、私はできるだけ早く国政は大統領制に移行すべきだと思う。その際、神道教祖な皇室は民間人化し、政教一致の象徴天皇制も解体する必要がある。これは前時代的な身分差別、人権侵害の名残なばかりか、そもそも政教分離と国民主権に反するからだ。皇室廃止は単に時間の問題だ。

 こうして全く政治資本を持ち合わせていない状態でも、或る国民の一人が公徳面で優れていれば皆がその人物を推挙し、簡素化した選挙手続きにより、その人物を公費のみで選出できねばならない。具体的には学級委員長を選び出す様な場合の選挙方法、つまり国民番号を用いるのが最もよいのではないか。
 投票所で紙に書いて選挙する、これは既に大分古いので、できるだけ早く民間委託先を競争入札し、スマートフォンやPC等からウェブを通じた電子投票も可能にするべきだ。国民番号を入力後、候補者の氏名か政党をタップするだけで1分でおわる様なしくみならすぐできる筈だ。
 電子投票以前に、私のアイデアでは、そもそも立候補制をやめればいいと思う。つまり国民全員の国民番号を政府が公開し、そのうちの誰かに投票させればいい。こうすれば普段から公徳が最も高いとみられる人物が選出され得るからだ。費用がかかりうるさいだけで無意味な選挙戦をなくしてしまうのだ。この「全員投票制」を採用したら、私は中学1年のとき生徒会長だか副会長の選挙に出ろと体育会系の教師にいわれ、泣いて拒否したんだが無理やり選挙戦やらされた。そういう風にそもそも政治家なんてやりたくない人物が推挙されてしまうこともあるだろう。この場合だが、人権として拒否権はあるべきだ。
 当人が全国民からの直接投票で信任されれば或る公職をあてがわれ、拒否した場合は順次、次位の人に回される。電子的にその手続きが短期間で、できるだけ簡素に完了するしくみが近い将来、構築されねばならない。当面、紙による投票自体は電子機器がない人の為に廃止すべきでないが将来は消えるだろう。