(生麦事件を例にとると、中学生の道徳科目において今日の目からは狂人にしか見えない武士道の「忠義」を教えるのは如何なものか、とのツイートへ)
まあ薩摩藩自体が外様大名だったこともあり、生麦事件の1つの例は武士道全体からいうとかなり例外的というか、極端な例ではあるけど、大名行列を横切るのは主君への無礼にあたるから斬り捨てたという例ですね。つまり忠義が極端な形をとっている。忠義という徳目をどう扱うかの議論になるわけです。
例えば平成の会社員、秘書が、お客さんが社長室に入ってきて社長に謙譲語を使うと。これも一種の忠義だと思いますが、例えばアップル社でジョブズに敬語使ってたかといえば、気は使ってても忠義ではないかもしれないです。ジョブズも一種のクレイジーですがもっとフレンドリーだったじゃないでしょうか。
武士道って具体的な形(剣道、柔道みたいなの)のことじゃなくて徳目のことですね。主に新渡戸稲造が英文で書いた『武士道』が最も代表的な参考書で、それ以前の文献だと『葉隠』とかも含まれる。要するに道徳論です。したがって倫理学の議論にすぎず、具体的なスポーツとかと関係ないでしょう。倫理学の議論って或る徳目を「これは正しいのだ」といって押し付けるの(宗教教育といいましょうか)とは正反対で、寧ろ「これは本当に正しいのだろうか?」と問い直す作業だといえますから、『武士道』を子供に教えるといっても、教え方次第では反武士道論者を大量に生み出すこともできますよ。
新渡戸によると、「武士道とは日本の象徴である桜と同じよう国土に咲く固有の華で、歴史の標本室に保存されている古めかしい道徳ではなく、今なお力と美の対象として私達の心の中に生きている。一言でいえば高き身分の者に伴う義務で、弱きを助け強きを挫く勇猛果敢なフェアプレーの精神」だそうです(新渡戸稲造著『武士道』(原著 "Bushido -- The Soul of Japan")の第一章「武士道とはなにか」より)。多分、文科省が検定教科書で使ってる武士道の概念って、新渡戸の同著を引用してると思うので、同著の概念の議論なのじゃないでしょうか?
忠義という徳目は同著9章があてられ、公を私より優先した例として西洋個人主義との違いが比較され、「愛する者の為に死ぬ」自然愛の一種と分析されている。
生麦事件でいうと、幕末当時の鹿児島の侍は、島津家という主君に忠義(つまり主人への愛)のあまり無礼者を即座に斬り捨てたけれども、それがたまたま外人だったので国際問題に発展し、攘夷論と絡んで薩英戦争になったわけでしょ? つまり道徳に起因し或る行動が起きたわけだから議論の余地があると。「愛する者の為に死ぬ」とはいっても、わざわざ主君だか主人のために命捨てて守らなくていいだろう、というのがドライな西洋個人主義の立場でしょうけど、日本人一般って伝統的にはそう考えてなく、最大の場合、一億総団結とかいって天皇陛下万歳で戦争いってしまうわけですよ。忠義で。あと東京渋谷駅にハチ公の像ってのありますが、あれもまさにここでいう武士道の概念であるところの忠義のモデルとして偶像化されていて、主人が戦死で帰ってこないのにいつまでも侍みたいに駅前に馳せ参じていて哀れだというので残っていると。類似はあっても、海外に忠義の徳目ってないわけです。
なお儒教だと、忠って正しい心、主君への誠心という程の意味で、自己の意志または利の反対の義という概念もですが、日本人の哲学の中で変容して用いられていて、忠義になるとまた別のより高次な理念になっている。これは新渡戸の同著でもかなり分析されてて、まあ国学のかなり重要な部分だと思います。
小中学生に倫理学の初段の部分を教えるという意味で、儒教と武士道における忠や義、それらを組み合わせた忠義の概念の違いとか、そういうのも例示と共に考えさせるのは、昔から寺子屋や藩校でやってきた話であり、自然科学が主になった明治以後、学の最終段階としての形而上学を教え忘れてただけでしょう。
あと、海外の各国に色々な道徳規範(共通規範としては法、或いは宗教)があって、それらは各国民がどの道徳律を採用してるかによるわけだけど、倫理学としては全世界の道徳を網羅し、自分の参考にする所まで進まなければいけないので、武士道は日本独自の倫理規範というだけで歴史的なものでしょう。
私は「武士道は歴史的なもの」といいましたが、新渡戸は上に引用した部分で「武士道は歴史標本の類でなく、今なお力と美の対象として私達の心の中に生きている」といっていて、矛盾する。同著の最終章で新渡戸は武士道は独立した道徳体系としては滅びても、その栄光は生きながらえると予言している。新渡戸がいいたいのは、「日本人は昔から継承してきた観念に訴えられると即座に応答する」なぜなら「それぞれの国民の道徳的発展になじみのある言葉で説かれれば、人種・国籍を問わず(ある教えは)人々の心にすんなり宿る」(同著16章)という話で、各徳目は伝統的観念として残るだろうという話です。
私達は過去の国民が受け継いできた或る徳目を言葉としてもっていて、忠義という概念は、現実に漢字文化圏で使ってもほぼまるで日本人の使う意味ではないと。ゆえ新渡戸がいう伝統的な解釈学が今後も続く筈という意見は正しいと思います。ただ私は徳目が廃れたり、忘れ去られたりもするだろうと思います。現に、あなたの中では忠義の意味がもう殆ど廃れて理解されていないわけですよ。生麦事件でなぜ侍が奮起したか、単なる狂人じみた武官が外人を斬り殺したと解釈してしまっているわけです。過去の民衆の中でも忠義を理解していない町人ならいたかもしれませんが、廃れてきたのは確かじゃないでしょうか?
もし薩摩の侍が、生麦事件の時に馬にのって土下座しなかった外人を斬り殺さなかったら、皆そうしている民衆に示しがつかないのに加え、現実にその外人が主君を討ち取る為に急襲してきた敵兵の場合もあるから、当時の感覚としては天皇陛下の御用車の前に躍り出てきた危険マリオカートみたいに見えたと。もしあなたが薩摩の侍の先兵を任されていて、或いは今日でいえば皇宮警察の先頭車両で、忠義を信じていたならば、目の前に主君に害をなしかねない危険人物が躍り出てきたとき、真っ先に職務遂行を選択しその危険人物なり危険車両なりを打ち払わないか? という話です。狂人の蛮行ではないのです。勿論、私の立場では忠義を「正義」と認めるとは限りません。それが倫理学的に考えるということです。生麦事件も別に英雄的事件とも思わないし早まったと思うし、現代で天皇陛下の御用車両にマリカーがぶつかってきて天皇皇后共に崩御なんて事件があったとしても、忠義が廃れたんだなあと思うだけです。
武士道を教えては成らないとか、武士道なんて野蛮な道理だ、というのは実に誤った見解といえて、寧ろ日本史での事象の動機を解釈する為にも最低限必要くらいで、単に倫理学の一種だといえるのではないですか? 現代の我々がそれをそのまま、中世や近世のよう即実践せよとは言っていないのですからね。