人は交際人数が少ないほど、他人の悩みを背負う必要がなくなり、幸せになる。外向的で交際人数が多い人は、単に共感知能が低く他人の気持ちを感じづらい為、多くの人達を傷つけても平気でいられるだけである。
内省的な人が知的なら、一般に孤独が最も賢明な働きを意味している。このため傑出した学者や芸術家が一人でいるのを好むのは自然であり、ここでいう孤独さは世間でいう寂しさとはあまり関係がない。なぜなら自分より愚かな点が多すぎる他人との関わりがその人にとって有害なのは明らかだから、消極的な意味で、その人は一人の方が恵まれていると感じ易いのだ。
これと対極的にある人が愚かで性悪なら先ず常に他人は自分に優るだろうから、一般に交際が多ければ多いほど私利になる筈だ。共感性も低い場合、この人は出づっぱりとなる。商人や芸能人、政治家の世界が俗悪なのはこの種の愚物に最適だからで、そこではサイコパスやダークトライアドのよう良心がなく或いは邪悪な性格の者が支配的となることがある。今日の労働者が出づっぱりの正当化に耽り、この逆の行動形質を引きこもりといい差別対象にしているのは、彼ら労働者自身が共感性が低く、且つ暗愚で悪徳にまみれた同質集団だからだ。したがって資本家や支配的政治家らの意図を見抜けず経営者の使い走りとなって都塵で社交させられているのがこれら労働者の生態の全てで、彼らが芸能人の一部や世襲政治家、有名商人を名士と呼ぶのは俗物さの模範だからに他ならない。
賢者は限られた人とのみ交際し、世俗の煩いを最大限排して生きるべきだ。実際そうしている仙人や隠士がどの時代にあっても最も賢明だったのであり、彼らを聖人視している後生が現実に彼らをみれば当時の有名人らの世俗性との対比に驚いたろうことは想像に難くない。ある時代の最高の賢者の名しか後世は知らないので、この時代についてもやはりそうだろう。現世で億万長者になり、或いは帝の座に就き栄華を極め、なにか有名な賞を受け煌びやかにみえる有名人らは、俗塵で広告塔として世事を演じる芸人と本来なんの違いもない。勲章や名誉学位の類もその個人を飾り立てているが死後単なる古い遺物に過ぎなくなる。知恵だけが時代を経ても別の時代の人々にも役立つが故に尊重され続ける。