2019年4月23日

福祉は経済弱者に使うべきで正社員へ増税するほど群れて喜ぶ

労働者(会社員)のかなりの部分からは、インターネット上で色々と差別的な言動だの名誉毀損をされたから、彼らが不幸になっているのを見ても同情がわかず、逆に自業自得だ、いい気味だと痛快に思うのだが。彼らの大部分もそう思われるだけのことは匿名で十二分にしてきている自覚がある筈だ。功利主義や社会福祉の理屈はよくわかるが、現実の日本の労働者とわずかでも接したことがある人なら、彼らの殆どが卑俗極まりなく、悪徳の塊で、しかも傲慢極まりなく、他人を他人とも思わない有害な人達だという体験は数多くしている筈だ。そんな害獣の様な連中をなぜ恵むべきだというのか。
 冷遇されているから卑屈なのか、卑屈だから冷遇されているのか、因果の順序は分からないが、労働者一般(少なくとも正社員と呼ばれ、非正規その他を差別して恥じない人達)は自分の待遇が恵まれていると現時点で思っているのだから、彼らにはそれ以上の待遇は無用だ。彼らは差別できれば満足なのだ。非正規雇用者とか無職とかその他の職の人達を、正社員と呼ばれる企業の被雇用者らの大部分は頭ごなしに差別する。これは公務員でも同じだ。そして彼らの人生の主要な満足はこの被差別的地位にあって、自分は他人より恵まれていると勘違いし易い。それほど単純に、労働者一般の思考力は低いのである。
 同じ国民の中に被差別的・差別的地位を無理やり作り出し、その間で差別を常態化すれば、皇室とか資本家といった支配者側には永久に手出ししてこない。これが日本人一般を管理するのに最適で、また最も簡易な手法であり、天皇が渡来してきてから彼らからずっと使われてきた官尊民卑・封建制の統治法だ。愚民は卑小な心の小人だから、自分より強大な権力にわざわざ立ち向かう勇気はなく、群れてより弱い立場の者を攻撃することで、自尊心を回復する傾向にある。歴代天皇はこれを自覚していたから自分を神格化し、日本国民を生まれながら奴隷視してきた。麻原彰晃と歴代天皇の違いは、武力差に過ぎない。
 自分が皇室や資本家側に立ってみれば分かる話だが、わざわざ愚民であるところの労働者一般、それも正規社員という被搾取的身分に満足し、逆に自分達支配者を崇めている下衆を優遇する鼓舞など皆無である。奴隷がわずかな給与で大満足し、勝手により経済弱者を差別して満足しているなら、使い倒す筈だ。
 私が今書いている真実は、皇室はじめ多少あれ支配者側に属する者にとっては暗黙知であって誰も書かずに済ませてきたに過ぎないが、この文意を労働者の人達は理解できない筈だ。理解していたらその境遇に満足できず、何らかの手立てで共産革命を起こすか、社民党を与党にするか、皇室を打倒するだろう。日本国の労働者一般が、奴隷的立場を合理化しつつ、皇室や自民党の藩屏となりつつより経済弱者を差別して暮らすのを群れつつ選び取っているのが真実で、要するに心魂が卑しく愚かな故に、文化大革命や市民革命、イエローベスト運動の様な反資本主義・反皇室の運動が起きないのだ。自業自得なのである。この様な奴隷的国民を持つ国で、労働者一般を恵もうという社民党や共産党に全然人気がなく、逆に労働者を奴隷化している自民党が長い間、政権与党なのは、会社員自身がそれを選び取っていることからも、「もっと冷遇してくれてもいい。但し、無職や非正規雇用者等を差別させてくれ」という意味なのだ。安倍内閣は労働者一般に大増税し、経済弱者の福祉もかなりの程度切り捨てているが、愚民側は大満足して大いに支持している。しかも皇室が贅沢三昧し政治と宗教を混同し地位を私用しつつ、政府と違憲立法・違憲行政を連発するほど、ますます崇拝が集まる。これが愚民の国、衆愚でなければなんだろうか?
 私は自民党を生まれて1度も支持したことがないし、皇室からの洗脳もなんとか自力で解いたが、今度は日本人労働者一般の暗愚さ、凄まじい卑しさに直面した。それで労働者が幾ら同国の経済弱者を差別しようが、それは所詮差別に過ぎず労働者自身の卑屈さを自己証明するに過ぎないので無視でいいと思う。そして今後、日本で労働者のうち正規社員をどれほど冷遇したところで、彼らは無職とかニート、非正規などの概念を差別用語に脳内変換し、自己正当化をし続ける。一般に諸国で経済弱者は社会的援助や応援の対象だが、日本人の正社員ら全般はそんな普通の心は持ち合わせていないから、教育しても無駄だ。日本人の正社員をできるだけ奴隷的な状態に置けばおくほど自民党や皇室の支持率が上がること、しかも彼らへ大増税したり、その給料を削減した分を資本家や皇室の利益にすれば愛国心で合理化するのは安倍内閣が証明済みである。この様な衆愚を拘束するには新卒採用制の維持でいいしリストラしてもOKだ。なぜ労働者全般が社畜と称するほど卑屈な境遇に置かれたがるかといえば、元々、天皇制や五人組といった農奴制の下で生き残ってきた生来の気質があるのではないか? 不安で群れ易く匿名で悪行するが個人に責任感が全くなく、恥を恐れ天皇を崇めるなど、色々な日本論があるが現実に奴隷を好むのだ。欧米の労働市場と全く違って、日本人一般には新卒で取りこぼしたら再挑戦の機会を二度と与えず、一生涯、経済弱者として差別的境遇に置いて見せしめにする、こういう平成社会のつくりで調度良かったのだ。そうすれば正社員は恐怖の余りますます奴隷的立場にしがみつく。決して社会改良などしない。リストラの名目での突然解雇の恐怖は日本人労働者の従順さを管理するのに都合がいい。だから経営陣は彼らに温情など示さず、単に経営の都合が悪化したら突然、正社員から削るのでいいのだ。公務員がそうしてきたよう生活保護もできたら与えず路頭に迷わせれば、新卒一括制同様、見せしめの効果がある。
 私が今述べた「日本人労働者管理法」はほぼ冗談の様に見えるが、現実に日本企業が小泉内閣以後にしてきた全てを客観的に記述しただけで、ただの事実でしかない。ここに安倍内閣は移民労働者と競合させる、新たに競争率を上げる難易度上昇を実行済みである。そして労働者の支持率がますます上がった。
 或るフランス人に「日本人は不幸が大好きだもんね」といわれた。私はこれは事実だと思った。彼らは誰かが幸福だと決して許せず全力で足を引っ張るか、集団虐めをして駄目にしようとする。病的に嫉妬深く、驚くべきことに恋人、親友はいうまでもなく、家族や親族の間ですらそうなのだ。幸福になる権利がない国民全般。そして現に不幸であるか、支配者から冷遇しまくらないと決して自分を幸福だと称することがない、根の曲がった奴隷的な国民。これが日本人全般の国民性だ。
 こういう国民性を完全に熟知していれば、労働者の権利向上など日本で永久に無用とわかるのではないだろうか?
 寧ろ安倍内閣が現にしてきたよう、ひたすら労働者全般の待遇悪化を目指し、表向きは皇室でいい人ぶり、実質は大増税とかリストラ・新卒制・共謀罪・冤罪・軍事調教などで脅迫し続ければ大満足して愛国狂人になり、自ら異分子排除に全力を使う。ダークトライアドな皇室政府が長期維持されるはずである。
 ではどうしてそんな意味不明で奴隷的な労働者ができあがるのだろう。そう思って私もそうなる人達の内面を色々調べた。結果わかったのは、彼らは生まれつき群れたり、他人志向が激しく、自分で考える能力も全くない、いわば奴隷になるべくして生まれてきた様な資質の持ち主だったのだ。自由教養が主人、或いは指導者となる為の思考力を鍛えるものなことは洋の東西を問わず共通している。これと対極なのが社畜になる人々の脳で、教養自体を軽蔑しているばかりか、自力で考えるのを最も恐怖し、会社だの政府だのに管理される為の箔付けでしか勉強しない。脳が生まれつき違うのである。経由している教育環境がほぼ同一な上に、家庭環境がさして違うともいいがたいのに、結果は180度違う。それなら遺伝子が違うとしか言い様がないと思う。将来的に何が自由人と奴隷の違いを生み出すのか脳の分析が必要だが、セロトニン値などは明らかに違うのではないか。不安を感じ易いから群れるので。私は様々な観察や体験の末に、日本人の労働者一般は自業自得だ、という自己責任論とはまた違った文脈からそれと似た結論に至っているのだが、それは恵まれた環境を無為に大学時代に遊び呆け、匿名で悪行三昧し、カネのかかるブランド物を買いあさって下らない発情しつつ労働者自慢の人間を見たからだ。
 一体、日本の左派が労働者を優遇しようとする根拠がわからない。だってその正社員らは自分の境遇を理想視してそうなっているのだ。自分から会社員だの公務員になりたがったのだ。寧ろ援助すべきは経済弱者であって正規社員とやらでは全然ない。自民政府をみれば正社員を冷遇するほど喜ぶのが現実だ。例えば私の恋人は生まれつき自閉症だが、そのことを家族含む周囲に理解されず自殺寸前まで虐められ、追い詰められていた。しかも極貧で過労に追われ、職場でも障害が理解されず無能扱いで自殺未遂に至った。こういう人を私みたいなただの私人が善意で救援してきたのである。本来なら公共がやる仕事だ。日本の政治家だか議員だかは、完全に見誤っているのがこれでわかったのではないか? 正社員に自己責任論だか自業自得論をあてるのは、全く正しい。彼らは自分から社畜になって喜んでいるし、増税するほど嬉しがって皇室を崇めるほど馬鹿だ。だが経済弱者の方は公共の助けがなければ自殺してしまう。寧ろ正社員なんてどれほど給料を絞っても、或いは消費税含めありとあらゆる増税をおしつけても全く意に介さないばかりか、「群れ」の多い側の一員だというだけで常に大満足し、政府や皇室を周りに併せて万歳三唱してる様な本物の奴隷根性の持ち主でしかない。そんな連中から搾り取れるだけとればいい。
 公共の税を一体誰に使うべきかといえば、「少数派」としかいえない、何らかの経済弱者である。私もその一人かもしれないが、私よりもっとお金もなければ経済的に追い詰められている人は無数にいる。当然彼らは正社員などではありえず、日本人固有の全体主義で排除されてしまっているが心の尊い人だ。或る母子家庭(父親はタクシー運転手だったが子供が4、5人と増えてから沖縄に帰ってしまった)の極貧青年は中学から不登校になり、兄弟の2人、3人だかは早く自殺し、残るのは彼だけになって引きこもっていたが、やっと掃除婦の母の給与でPCを買ってもらい、ネットで生涯を書き残し配信中に死んだ。私は彼の配信をたまたま別の人から教えてもらい、その現場を流していたのを聞いたけど、実に凄惨で、深夜に仕事から帰ってきて彼の死を見つけた母親の慟哭(老婆の「ごめんよ」の声)が今も耳から離れず、それほど心を痛めた事物を見聞きしたことは今まで一度もない。なぜ生活保護が彼になかったか。
 本物の経済弱者と呼べる少数派の人々が自殺寸前まで追い詰められているのに、この日本社会は一円も与えないばかりか、「正社員」と称する極悪人と群れながら差別して済ませている。その正社員になりたくもなければなれない様な人達が、福祉の対象であるべきなのだ。生存権を奪うのは社会的虐殺だ。例えば日本の経済弱者が知性が低いとは全く限らない。単にこの国民は少数派でなんらかの集団内の正規分布から外れているだけで、排除したり差別する傾向がある。それで某博士みたく学業成績は圧倒的に優れていても、場合によっては何らかの知性が並より高いだけで経済弱者に追い詰められてしまう。だから日本で福祉の対象であるべき人は、引きこもり、ニート、無職、浮浪者とか一般的な経済弱者だけではなく、単純に例外的な個性の持ち主であって、国内で同調圧力地獄でしかない正社員になりようがない人達である。公教育は個性を強化しようとしたのだから、個性的な人を死に追い詰めるのは不当だ。