2019年3月4日

立憲党首・枝野幸男氏の排他性は政権交代後のファシズム政権を想起させる上に立憲単独で自民議席を上回れない弱勢要因になっている

そんなこと(安倍政権の前で野合したくないなどと)いってる暇ない。目の前で危険なことが行われていたらどんな手を使ってもまず止血しないといけない。時間が経てば復帰できなくなる。
 日本国が先進国から落ちる(独裁国家として第一諸国でなくなる)瀬戸際だから、あなたの判断だと日本自体が沈んでしまう。どこの国で法律を守らない内閣が暴走中に、第二政党勢力を弱くしようと考える人がいると? 枝野立憲が弱すぎて選挙で二度負けている(後述)。そして同じ戦いを繰り返したいといっている。負けるのは目に見えている。なぜもっと党勢を強めたがらないのか。言い訳しているのはよくわかるが、立憲支持者を増やす方向にいかないと、排除してたらまた負けて、今度は日本自体が滅びてしまう。
 自分が立憲党首なら、専ら政権交代以後の新しい日本を作る志をもつ仲間なら、誰であれ味方にし、次の選挙で安倍自民党を破り、さらに勢いをつけ衆院選で完全に打倒する。それ以外の道がない。排除ではなく糾合せよ。どうせ第二党の党首が枝野氏のままなら彼が新内閣で首相になれるというのに、一体何を恐れているというのか? 小沢一郎氏の方が公徳が高いから、枝野氏の権力闘争によっては枝野独裁政治を敷くのが難しいので、協力できないというなら、最初から小沢氏に党首の座を譲位しその元で政治活動をするべし。
 勝利の定義があなたは議席数を伸ばすこととしているが、私は政権交代によって衆議・参議のいずれかで過半数を超え、与党の座に就くことと定義している。枝野氏の独裁政治を敷きたいというのはよくわかるが、他党を排除し、自党の考えを押し通したい、というのは議会制民主主義の意味をそもそも理解していない証拠だ。議会政治というのは国会によって少数政党の正論を拾い上げる為にある。だから他党の考えを最大限汲んで政治をするのでなければいけない。
 小沢一郎氏がいたおかげで、日本が中国式の一党独裁制から免れ、数度の政権交代を経験し、やっとまともな政党政治を理解しはじめたのだから、彼が戦後日本政治史の中で最高の英雄なのはなにびとも疑う余地がないだろう。歴史や後世の人類も必ずそう評価するであろう。政策が違うというけれど、連立政権はいうまでもなく、同一政党内でも(自民党であれ公明党であれ)、党員のもっている政策案はみな多かれ少なかれ違う。それを党内の議論や党派政治で何とか党首がまとめていくのである。逆に異見を封殺する体制は結束主義(ファシズム)といい、歴史的に失敗してきた。なぜ結束主義が失敗したかといえば、党首の政策が完全に間違っていたとき、誰もそれを修正できないからだ。日本の戦中(天皇制ファシズム)も、現在(安倍独裁体制)も結束主義政権である。枝野結束主義をもっている立憲支持者は、結束主義がもたらした歴史的失敗事例に学んでいないと思う。
 その考え(好きな野党に投票先を分散させようという意見)の問題点は、国民全般は選択肢が多くなるとどこに入れていいか迷ってしまうので、米英独豪加等先進国では二大政党という選択肢を2つに絞る文化がはぐくまれてきた理由を無視していることにある。日本人民衆は一般に政治に無関心だから、選択肢が多いとえらびきれず、選挙を放棄してしまう。したがって最も合理的なのは有権者が政権交代を望んでいる場合、野党の勢力を1つにまとめ、選択肢を最大2つに整理するという二大政党の文化を日本でも慣習づけることである(選択肢を分岐させた多党制もあり、国民の政治関心が深い国では有効)。小沢一郎氏が50年近くやってきたことがそれである。これから自民党を疑っている既存の自民支持者らに、比例代表で野党に分散して投票してもらうとすると、恐らく最大得票数を得るのは自民党ということになることが予想される。無関心層は面倒なら棄権するか、わかりやすい自民党に入れるからだ。つまり政権交代が起きない可能性のほうが高い。
 できたら野党を、米英でそうなってきたよう伝統的な二大政党にまとめていく、という流れが民主化を推進する為の王道なのだが、枝野氏はこの日本政治史の大局を読めていない。多党制に近づけようとしているのか、立憲民主党への国民の信頼度を過信しているか、いずれかだと思う。あなたの考えは二大政党制を否定しているということになるだろう。そうすると、望める政党政治は多党制か、これまでと似た一党支配制か、いずれかとなる。一党支配制が腐敗し易いのは歴史が証明してきたので、あなた(や枝野氏の考え)で成功したときは多党制になると思われる。つまりより複雑な政治。(以下にあげた資料のよう)多党制を執る先進国は、フランス、イタリア、韓国などがあるが、この場合、頻繁に政党再編が繰り返されるので、これまでより国民の政治的関心や理解度を高めなければならないし、安倍政権を支持する程度の現状の日本人にそれは恐らく難しい。つまり不安定な政情になる筈だ。
私は不安定な政情が経済面には悪影響がある、という各国の歴史的経験を知っているからその多党制に向かう舵取りには反対だが、あなたや枝野氏はその方向に進みたがっている。だから私はあなたや枝野氏と同じ、多党制に向かう考えには今のところは賛同しない。もっと日本人の政治理解度が高くなればOK。
 今調べてる時間ないけど、私の県・市から国政見てた限り、(立憲民主党は)最低でも2度は負けてたようだったな。後で調べます。まあ間違ってるかもしれないが、1度負けたと書いてから「2度以上あった様な気がする」と思って修正して書いたんだよね。2018年茨城県議会議員選挙で立憲が圧倒的に負けてました。
>党派別では自民34人、県民フォーラム4人、公明4人、共産2人、立民1人、無所属17人
私は「国政で」立憲民主党が2度負けたとは書いてない。私は私の県や市で立憲・自由党・社民党支持(自民党安倍政権を支持したことがない)なので、私が立憲民主党に対して2度負けたというのは事実として語れる。
 なぜ私が自民党を支持しないかというと、私は地元で福島原発事故を経験しているので、同じ事故を繰り返そうとする原発推進政党は支持できない。それで自民党以外の候補のうち、茨城県の原発を停止してくれる候補を応援している。だから立憲も応援しているし、私の国政選挙区では立憲候補が勝った筈。なぜ国政に限って政治があると思うの。誤った前提だよ。県政でも自民党の横暴は続いていて具体的に公害であるところの原発を推進しているのだから命にかかわる。
 このままではまた福島原発事故の二の舞で、命にかかわるから、第二党である立憲の勢力を強くして自民の公害をとめないと。なお私も社民党政権が国民の幸福度の点で最も望ましいと思っているので、あなたと政治的イデオロギーはかなり近いと思うけど。
 二大政党制をなぜ多党制より劣った体制だと思っているの? 第二党を最大化するべきだというのが私の意見(二大政党制をとるべき、なぜなら日本国民全般が政治的無関心なので多数の選択肢があると棄権しがちになる)で、あなたは第二党以外の政党に分散して投票させるべき(多党制をとるべき)という意見になるわけだけど、日本人に多党制が可能と思うのですか? なお私は、多党制の方が少数意見を政治に反映させやすいから、政治民度が十分高い国々が多数政治を執るなら、多党制がより優れているという考えなので、勿論、日本でも多党制を執りたい。ただ現実にそれを今やろうとすると、自民一党支配が続いてしまい、寡頭政治が終わらないか、棄権が増えると思う。勿論、今すぐ多党制を実現できるなら私もそれに賛成です。
 違憲立法を連打してる安倍政権の下で、経済政策面でも失敗が明らかになっているのに悠長に構えていると、日本国自体が滅亡してしまいます。団塊世代の引退も重なり、就職率の高さで自分の生活費さえ賄えれば、他の腐敗は構わないという若者が多いのは理解していますが、それは自殺行為です。逆によりよい政権の下でもっと高い就職率や優れた労働環境を実現すればよいのであり、目の前で悪政が行われているのにその被害を無意味に数年甘受するのは現実的ではない。あなたは現状の安倍政権を「数年~数十年」も放置して、その後に日本国が復活できると思っている様ですね? 多分、私の見るところそれは不可能ですよ。二度と復活できないでしょう。安定どころか滅亡すると思います。今の国政は、亡国に値する末期状態だと思います。憲法を守らない政府というのは、あらゆる不正を思うがままにする最悪政治というべき状態ですから、あなたや私の想像をはるかに超えた反国民的な悪政はこれまで見てきた以上にわんさかと行われ、恐らくその後に日本人達が未来に先進国の一員として生き残ることはないでしょう。北朝鮮に抜かれますね。
 ただ、私は実は日本国民に何も期待していないというか、完全に諦めています。これまで生きてきて、日本の政治に立派な成果は恐らく何も期待できないということを知っているからです。だからあなたのいうとおりになり、数年後、日本の亡国が誰の目にも明らかになるだろうことも、半分以上予想してます。ツイッターでこの様に何かを受信・発信しているのは、私の場合、日本人全般に何か政治的能力を期待しているからではなくて、少なくとも情報のやり取りをすることで現実を分析したいからです。そして次の選挙で、あるいはその次の選挙で、枝野氏が党首の立憲民主党が多数議席を取る可能性は低いと思う。
 常識は18歳までに身につけた偏見のコレクションだ、とアインシュタインがいっていたけど、人々の間で随分違う常識が、たまたま共通の部分をもっていると、恐らく、互いにあなたは常識的だと思いあえるのでしょう。私とあなたの場合はその共通の常識が少ないのかもしれない。
 あなたの場合、議席を増やせば勝利と定義されている。一方、私は多数議席を獲得することが勝利と定義されている。定義がずれているので、お互いに勝利に関する意見がすれ違うわけです。私は福島原発事故をすぐ近隣で受け死ぬほど恐ろしい目にあい、二度とあの様な目にあいたくないと、すぐ近くにある東海第二原発をすぐに止めてくれ、廃炉してくれと思って国政・県政その他の政治を見ています。その激しい不安や危機感で強制的にこの原発公害をとめてくれるまで勝利とは思えないのです。
 因みに社民党が日本の政権与党になる日が長期的に来ると思いますか? 私はそれを望んでいます。自由党の小沢一郎氏は嘗ても社民党と連立政権を組んだ(鳩山内閣)ので、私は自由党を支持することで、(自由党は枝野氏のよう社民思想を排除していないので)間接的に社民主義的な福祉政策を、安倍政権の次の政権でも部分的に実現できるだろうと見越しているのですが。
 先ず第一にいえるのは、私はこの世で政治家と名乗っている人達を誰も信じていないです。全員、権力闘争によって何かをしたがるやくざの様なものだと思っているので、根本的に誰も信じていません。だから私が誰かの信者と思っているとしたら、それはあなたの勘違いです。因みに私は天皇も全く信じていません。
 次に、あなたは私がどれほど立憲民主党の勢力増大を必要不可欠としているかについて、大変誤解していると思います。あなたは福島原発事故をすぐ近隣で実体験していないし、原発事故の恐ろしさを殆ど知らない筈です。原発推進派をすぐ除去しないとまた死ぬほど恐ろしい目にあうので、一刻を争うのです。あなたは議席数が増えればそれで満足なのが「普通」と考えている様だけれど、それでは私達、原発立地自治体(東京電力や日本原電から大量虐殺を含む公害をおしつけられている)の住民は少しも救われませんよ。だからそれは勝利とは、私には全くいえないのです。日本人に殺されて勝利ですか? 私の勝利は、少なくとも公害を防止して命を繋ぐことです。生き残ることです。その為には今すぐ自民党政権を打破し、原発公害を止めねばなりません。枝野氏は私の県政と国政選挙という2度の機会があったのに、多数議席をとれず、原発を止められていません。このままでは私は国民に殺されてしまいます。日本国民全体の悪意に殺されること、立憲民主党の議席数が第二党のままでとどまることをあなたは「勝利」というが、私は原発公害で殺されてしまうので、私にとってはそれは「敗北」なのです。原発を止められる政党が政権与党につかないと、殺されるので、私に勝利とはいえないのです。おわかりですか?
 なぜ自由党を排除しているのですか? 立憲民主党は連立政権に前向きではない。私はノルウェーの友人から社民政治の美質や利点を色々聞いて、日本の国政がいかに劣っていて遅れているかを知っているので、いずれ社民党が中心の国になってほしいと願っています。相対貧困率が先進国最大のアメリカのよう国民の幸福度を軽視する国を、立憲含む今の日本は目指していると思います。
 問題は、枝野氏が自身の考えと違う人を党勢に加えようとしない(ファシズム・結束主義的)ということは、彼が政権をもつと今の安倍氏と同じく、自身の考えを押し通すだろうと予想されることですよ。色々な政党や異なる意見を柔軟にとりいれながら、政権運営をしていくという思想ではない。党の理念への賛同は程度の問題で、多少の違いは受け入れている(故に会派間の党内政争がある)のが自民党で、その程度をより低くしようというのが枝野氏の考えでしょう。小泉進次郎氏は「自由がないのが民主党、自由があるのが自由民主党」と皮肉を吐いてましたけどね。寛容さが極度に高い政党を運営するなら、個人候補として出ればよりいいわけで、政党の結束性は程度の問題であり、二大政党・多党・一党支配など理想とする政治体制に対する手段にあたるといえる。つまり枝野氏は多党制志向なので、野党を第二党に糾合したがらないのでしょう。
 あなたは多数派を占めなくとも、議席数を伸ばせば勝利と定義している。私は多数派を占めて勝利と定義している。この定義の違いは既に共有しているので、それを種に論理のすりかえをするのは残念ながら詭弁というしかありません。では議席数を伸ばすことが私(立憲支持)に不利かといえば有利なのだから、あなたは立憲支持者であるところの私を、何か他の考えと誤解しているのだと思う。結局、立憲支持者である私と立憲支持者であるあなたとの考え方に差があるところは、私は自民党以上の多数議席を国政・県政等で立憲が執れないと数の横暴で自民党に悪政を続けられてしまうと考え、できるだけ立憲党勢(党員数や、比例代表選を含む全支持者数)をとにかく増やそうとしているが、あなたはそれに反対する。なぜあなたが立憲議席増を比例代表選での統一候補をとって増やそうとしないかというと、政治イデオロギーで排他的結束集団を維持しないと、政権交代後に枝野立憲の強行採決に不利になるとの考えの様である。それは議会政治としては望ましくない、寡頭政治というべきではないですか? できるだけ多くの政党と国会で穏やかに話し合い、お互いに納得できる共通の合意をとって、単なる党利党略をこえてできるだけ有権者の全ての人々のそれぞれ異なる意見の総意が政治に反映されるようにすることこそ、善政といえると思います。議会政治を開く意味は党の暴力をふるうことではないのです。
 政党政治というのは定期的に政権交代を繰り返さないと腐敗するんですよ。一党支配は必ず腐敗する。交代すればするほど新陳代謝は促進される。長期政権がいいなら中国に住むべきです。あなたは他先進国の政党政治に無知であり、一党支配の長期政権が正しいと思い込んでいる。他国の政治や、政党政治の歴史を調べて下さい。先進諸国で一党支配が続いている国は日本だけです。それは日本の政党政治がまだ未熟だから、民の政治学的理解が低く、政権交代を繰り返す意味を知らないからです。アメリカ・イギリス・ドイツ・カナダ・オーストラリア等は約数年で政権交代を繰り返す二大政党制、フランス・イタリア・インド・ブラジル・韓国等は約数年で新たな与党が再編される多党制です。日本はこれまでほぼ政権交代が起こらない一党支配制であり、完全一党支配制(一党独裁制)の中国に近い。長期政権が必ず腐敗すること、また一党支配が必ず腐敗することを、中世以来の歴史経験で他の先進諸国民は知っている。だが、まだ150年程度しか政党政治の歴史がない若輩者の日本人民衆は、戦中のファシズム(結束主義)政党による一党支配の失敗に学ばず、戦後も殆ど政治的理解の面で成長していない。
 枝野氏のいう通りにして本当に安倍独裁が打倒されるならそれでいいけど、次の選挙で立憲が最大与党になって枝野首相が誕生する計算は十分ですか? 自民信者が「枝野なら安倍でいいかあ」「やっぱ自民党」って言って勢いつかない場合、次で立憲が負けたらもう日本は潰れるから十分考え直して下さいね! 猫の手でも安倍独裁を止められれば借りるべきなのであり、韓信の股くぐりを引用してまでその重要性をご説明されていらっしゃるご老公小沢氏の思いがわからないとしたら、それは余りに危機感に欠けている。違憲立法を連打し不正行政で両府を独裁している安倍氏を倒せないと国民みなしぬから呉越同舟だ。
 永遠に一党支配を続けようと考えていると、自民党や中国共産党と同轍を踏む愚行になってしまう。定期的に政権交代を繰り返すことが、二大政党なり多党制なりで一党支配に必然に伴う腐敗を常に新陳代謝で解消する、という政党政治の知恵なので、永遠に瓦解しなかったり、長期政権ではいけない。一体、具体的に何年間が国政において腐敗をもたらしがちな長期政権なのかだが、アメリカでは確か4年で2選までと決められているから最大8年の筈(例外的に前任者の死亡等で2年以内の任期を継ぐと最大10年)で、議会政治の発祥地でもあるイギリスの場合は現実にはもっと短いと思う。日本でも一定の区切りが必要。
 政党なり政権の瓦解は、自ら一定期間でしないといけない。これが政党政治の基本原則なのだが、平成日本人と現代中国人の全般はそれを理解してないか、政党政治史に学ぶつもりがないのだろうと思う。アメリカの場合、任期4年以内に自ら大統領が内閣(ホワイトハウス)を解散する筈だ。一体、4年以内に内閣が自ら瓦解しない場合、寧ろ長期政権による腐敗が見逃されていると考えたほうがいいだろう。あなたは長期政権が正義だと思っているのかもしれないが、それは政党政治の基本原則とは違う考えだ。民主主義(多数政治、共和政)が最も完遂された状態は、特定の権力者がおらず、直接民主制によって全員が政治参加を繰り返す状態のはずだから、実際には政党もない方がいいし、絶えず内閣人員が入れ替わっているほうがいいことになる。しかしこれが現実的に難しいので、一定期間を区切るわけだ。具体的に何年~何ヶ月が最適かについては、各国で個別の事例をみて判断するしかないのだろう。恐らく長期政権によって、権力者が民意を軽視しても支持者らに持ち上げられ続けてしまう政権の驕りがはじまる時点が各国民によってかなり違いがある。日本は原則4年で変わったほうがいいのではないか。私が見る限りは、私の理想をいえば、国政の政権与党や党首・首相は、原則1年で交代してほしい。1年という区切りは調度いいし、日本の自民党支配がどれだけの腐敗をもたらしてきたかを鑑みると、できるだけ頻繁に内閣をいれかえたほうが国民全体の進歩が促進されるとおもう。
 現実には4年が相場でしょうね。長期政権の腐敗度は、現状の安倍政権をみると、4年以上になると大変甚だしくなる。ただ日本人は不安感が強い民族らしく、中国や北朝鮮のよう長期政権がどれだけ腐敗していても安心してみているという面があるわけで、政治を清浄化するにはある程度厳しく、寧ろ4年より短く任期を決めるべきとも思う。
 今日、色々議論を試みてわかったのは、立憲支持者(私も支持者だが)の中で枝野氏の考えに協賛している人達は、その種の枝野氏個人の政治理念での統治が可能だと本気で信じている節がある。それに現実味は余りないのだが、同時に二重基準で比例代表で協力しない方が他の野党票を減らせると考えている。立憲単独議席を伸ばせれば成功と考えている人までいる始末で、党利党略が政治全体の正常化より優先されているから、野党の段階でもう寡頭政に陥っており、一部の枝野氏の排他性に協賛する人々の立憲支持の理由は堕落しているといえる。憂慮に堪えない。 他の野党票を削り、立憲単独議席で独断的な長期政権運営をするのが「正義」というのが、その種の枝野氏の排他性を擁護する人達の考えである様だ。つまり本質的には自民党の代わりに新たな寡頭政を敷くつもりらしい。枝野氏の理念は立憲主義だから公務員は全体の奉仕者の筈が、その種の理解はない風だ。立憲支持者の一部の人達の実態が信用ならない、という自民党を消極支持している人達の意見は、大いに正しい様だな。確かに枝野氏の排他性を擁護する人達は、寡頭政を敷くつもりでいるらしいから、自民党の代替としては劣化コピーにしかなりえない。立憲党員の人材の質を、自民党員の人材の質と見比べ、冷静に安倍政権が最悪級なのは理解しつつも、枝野氏による立憲寡頭政がもたらす具体的結果を思うと、確かに自民党を消極支持したほうがまだ賢明に見える。勿論それが未来の明るい選択でないのも確かだが。
 自分は今日まで立憲支持者らがより共和的で寛容に、少数意見を積極的に政権運営に生かす、という多数政治の王道を踏み行おうとしてると思い込んでいた。現実にその様な考えをもっているのは自由党や国民民主党のほうで、立憲民主党支持者の中で枝野氏の排他性を擁護している人ではないとわかってきた。立憲主義に立ち返りたいという枝野氏の弁護士的意見が正当なのは確かだが、排他的なファシズムを擁護する人達というのは、安倍政権支持者となんら変わらないか、それより少し劣る程度の公徳水準だと思われる。安倍氏は党内で政権批判があっても会派の絶対数が維持されていることもあって、反主流派を排除していないし、知性や倫理観は大いに疑問があるが、現時点でも寛容度は枝野氏より高いと思われる。立憲ファシズム政権を目指そうという枝野氏は、それが本気で実現でき、よりよい政治になると思うのか。安倍氏は二度の政権運営を経て老獪な手練手管で政権維持のノウハウを完全に身につけているのだし、今日まで見てきた限り、立憲寡頭政を目指してる枝野党首が近いうちにその座を奪い返すのは余程の奇跡がないと難しいと見た。長い目でとか政権交代を先送りしてる人までいた。全く別の方針を探らないと。
 愚民の上に辛き政治あり。
 枝野立憲党が寡頭政を志向しているのに、政権奪取後に安倍政権よりましな運営が可能だと無邪気に信じられるのは、まだ現実を知らないからだろう。現実を知るまでもなく政権奪取自体およそ不可能だから、枝野立憲党支持者はワナビーの様なものだな。しかも長期寡頭政治の。笑えてくる。逆に今まで日本人全般の政治民度(公徳の質)をなぜ自分が高く見すぎていたのかが謎だ。政治家を目指さなくて本当によかった。