2019年3月9日

自分より優れた点をもつ人とつきあうのが成長の起因

私が今日、ある場所である人の美醜をある理由で尋ねていたところ、私が付き合っているある女性がシリマーという美女の仏教の例えを引いて、肉体を不浄のものと教え諭した。この女性は皆に馬鹿にされている様だが、少なくとも仏教の教理について私と同等以上の面をもっている点で優れた人物である。
 人は自分より優れた点のある人物とつきあうべきだ。その様な人と関わる限り、相手の長所から教えられることがある。
 一般に、人格の優れない人は、自分より劣った人と進んで関わるか、自分の長所と違った長所の持ち主を認められない傾向にある。その様な生き方をする限り、その人は堕落するが成長できない。自分より優れた点をもつ人はその人の周りを去ってしまうからだ。自分より優れた点があり、その長所が自分の長所から遠いほど、相手から受ける教えは大きくなるだろう。同じことは相手にとっても言える。つきあうべき相手に自分の長所から教えられる点があって、相手の人格が自分と同等以上に優れていれば、相互に尊重しあうのはさほど難儀ではない。
 人は全ての面に優れていることはできない。有限の時間に何かに熟達しても、そのことが却って別の欠点を生み出してしまう。生まれつき何かに優れていても、時にそれが劣る状態の方が望ましかったりする。だから人は特定の長所が十分優れていれば、その他の欠点を気にしなくて良い。他人の役に立つのはその人の長所である。ある長所を伸ばしきることに人は集中すべきだ。他の欠点が甚だしくともそれらを克服している人々は既に多数いるのだし、逆にある長所がありさえすれば誰かにとってつきあうべき人間になるのだから。