2019年3月23日

聖人は俗物天皇を反面教師に田舎で質素にくらすべし

我々が心から称賛を惜しまない人は、その人徳の高さにおいて我々の模範になるから敬われる。ところがこの称賛の表面だけ見ている俗物は、外形だけ真似れば自分も名誉を得られると勘違いしている。
 都市は社会的比較による嫉妬をいだき易い環境であり、惨めに感じない為には普段から顕示的消費(贅沢の誇示)による馬乗りをし合わざるを得ない。周囲の羨望を受けたいという名誉感情の動機に基づく俗物根性を極めると、皇族のよう世襲階級による制度的差別の上位者になりたがる。東京都千代田区や京都市のよう、自文化中心主義に基づく中華思想が俗物根性に加わると、華夷秩序に基づく地方差別と、夜郎自大な自己崇拝を行い始める。天皇家の自己崇拝を目的とする神道は、この様な理由で奈良時代に、土着の自然崇拝の抱き込みと混成を狙い興された、皇帝制度の宗教化である。顕示的消費は社会的比較により、より貧しい人に羨望させることが目的なので、神道による自己崇拝の宗教で政府と呼ばれる暴力団を指揮し、全国民を洗脳するという世襲独裁の構築、そして制度的なその隠蔽は、究極のところ、歴代天皇個人の俗物根性が動機になっているといえる。東京千代田区や京都市上京区など、ただでさえ俗物根性を満たす需要がある高人口密度の都市環境で、皇室という最大の俗物が住み着いてきた経緯を持つ地域では、周囲の人々も皇室に匹敵する浪費合戦に望むと望まざるとに関わらず参加せざるを得ない。その規模が拡大すると華夷的に諸々の差別をもたらす。東京や京都、その他の大都市部で、商業、学術文化、政治はこの自画自賛の差別を目的にした俗物競争として行われている。結局、皇室に馬乗りすることこそそこでの最終勝利になるのだが、歴代将軍(マッカーサー元帥を含む)は部分的にしかそれに成功しなかったのである。
 世襲の差別が制度的に排除された米国をはじめとする共和国でも、俗物根性は程あれあるが、少なくともそこで最も敬われる特性は、身分の同じ共和国民同士への社会貢献の度合いになっている点で、封建制の名残を留めた名目君主のいる国より、功利主義的(国民全体の幸福を目的にしている意味)である。
 我々が人徳においてのみ真に尊敬すべき人物になりうるのが事実だから、聖者は羨望や嫉妬を目的に人口集積された大都市部を避けて生きるべきことになるし、利他的な社会貢献の度合いが救いという聖なる行動の質でもあるから、賢明な個人はくらしの質素さに付随した隣人愛の実践をえり好みする筈である。