2019年3月26日

芸術は作品が全評価

まえ、アメーバピグに常駐してる某人がひたすら自分(私)を差別的に誹謗しまくりながら、成功をその者が出している駄本だとか学会誌に載せた下らない論文のことだとか、某大の学士号を仮面浪人でとったことだと豪語し、ひたすら自慢していた。当然、この人物はただの自己愛に耽る愚物(寧ろダークトライアド)なので自分は最初から相手にしていなかった。その人は芸術については何一つ知らなかった。それで芸術上の成功を当人の妄想、全くの勘違いで定義していて、権威主義が全てだといっていた。
 それで自分は改めて思うのだが、芸術における成功は受賞歴だとか人気だとかでは全然ないし、勿論、売上でも利益でもない。学位だか学歴だかが無意味なのは毎年大量の芸大生が生涯ろくな作品を残せずに終わるので分かる。我々が絵を見るとき、そんなものは誰も気にしていない。絵自体が全てなのだ。我々は古代洞窟壁画をみたり、ダビンチの『白貂を抱く貴婦人』をみたり、宮崎アニメを見たりするわけだが、作品以外の要素は作品自体が駄作なら完全にどうでもいいことになるだろう。逆に作品が素晴らしければ感動し、カラヴァッジオの様な殺人犯だったりのロスコよう自殺した者でもそれは脇にのける。
 芸術上の成功、特に絵での成功は、自分の探求してきたかぎり自分自身の中にしかありえない。周りから称賛された場合、あっそうですか、とは思うかもしれないが、自分が「なんか違うな」と思ったらそれは成功にならない。実際そういう絵しか残せていないから次の作品に向かうのである。
 自分のある友人は、芸大に入ろうとして多浪していた。よくある話だ。が自分は彼がそうしていた理由についてまで知らなかった。芸大受験1年目で自分はその権威づけの虚構や欺瞞、偽善、不合理性に気づいてさっさと独力独行にきりかえたのだが、彼はのちに「芸大の箔が重要だと気づいていた」といった。結局彼は途中で絵をやめてしまった様だった。今後やるかはわからないが。なぜ彼が絵をやめたのか? 芸大の箔がつけられなかったからなのか。他人がどれだけ自分の絵を貶そうが、無視しようが、自分自身の中に成功の確かな感覚があれば、達成したい絵の展望があれば、完全にどうでもいいことなのに。
 権威という当時のサロン芸術的な枠組みは、学界でいえば査読つき学会誌に掲載された論文数だか引用回数だか、有名な賞の履歴だか、現役で正教授まで辿る学内政治だかの成果になるのだろうが、これらは真理という目的に比して完全に無意味だ。芸術界でいえばそれが学位、受賞歴、売上高、動員数などになる。世俗面に過ぎない。
 絵自体が偉大かどうか。それが全てであり、他に一切の評価軸はない。このことは絶対的な評価基準であり、ある意味では普遍的な完全平等な世界だ。そして自分が絵を志した理由の一つが、この理想郷性にある。僕の高校の美術教師(磯上先生)が自分に言ったのだ。「絵は自由だ。何をやってもいい」と。
 ほかに、小説家を目指しているといっていた或る人物がアメーバピグ上にいた。この人は非常識なことを言う傾向があり、いってみれば倫理観がぶっ壊れた内容でその点は中々面白く、自分はこの人を励ましていた。のちに分かったがその人はどうもサイコパスで、自分にも色々攻撃的なふるまいをしてきた。ところがその人物は一般企業に就業すると次第に低俗な本性をあらわしはじめ、他の一般企業の別人物と恋愛沙汰なんかをしていて、一向に小説を書こうとしない。自分は遠巻きに見守りつつまだかな、まだかな、作品はまだできてこないのかなと思っていた。なぜ仕事をやめて小説に集中しないのかなと。するとアメーバピグ上で或る別の男が、「あいつはムリだよ」と自分に言った。
「あんなの幾らでもいる。社会に出て現実を知って、実力のなさに不安になって異性に媚びているだけ。小説なんてかけるはずない。見てたらいい」
小説も絵と同じで、作品が全評価だと自分は思うし実際そうだが、その人物の頼むままに自分はホームページ制作までただで手伝ったりしたのだが、確かにその人は一作も作ったことがなかった。『スプートニクの恋人』のヒロインみたいに。それで自分はこの人はなぜあんなことを言っていたのかなと思った。
 自分の経験上、芸術家になる人はそれでしか生きられない人達だった。そして食えずに苦しんだり、世の中から迫害を受け早死にしたりしているが、彼らは何かを必死に作っていた。挫折して商人になる人達も大勢いたみたいだったがその後は知らないので見ていない。何も作らず芸術家になどなれないのだ。
 ここからは自分の推察だが、その人の実家は商家らしく資産はあるはずなのだが、親の世話になれないらしく小説を書く暇がない。それで或る会社員と婚姻し無理やりその時間を作ろうと考えたが、失敗した。もしくはしつつある。もしそうなら辻褄があう。が、この人は暇があったらゲームしているのである。それで自分はそのゲーム(荒野行動です)まで出向いて、どんなことをしているのか見てみた。一言でいうとストレス解消の為だかサイコパシーの発揮だかのため特攻隊を結成し日々レイテ島みたいなことをしていた。暇ができてもこれじゃ身にならないんじゃないかと疑うべきか。猶予期間なのだろうか。なにがいいたいかというと、芸術家と呼ばれる人達は、はっきりいえばそれ以外になれない特殊な人々なのである。この仕事は全然割が良くない。商売界のピラミッドを剣山にしたみたいな感じでトップ1人か2人以外は全員(数百万人とか数千万人とか)まったく食えないのである。それでも毎日作るのだ。
 絵を描くのが一番好きだからそれ以外やりたくない、小説書くことしか頭にないからいつも綿入れ半纏着てる(私です)とか、そうならないと基本的に石田衣良アトリエなんて手に入らないのだ。そうなっても、漱石みたく雨漏りする貸家に住んでいたのだ。私も自分で壊した雪見障子のガラスを直していない。インスタ蝿っぽく温泉いきました~とか、恋人と海外旅行ドタキャンとか言っている、その人物。また浪費しちゃった、とか月100万のカード破産みたいな使い方して親のカードだからま、いっか、東京に住んでるから自分はセレビだし(セレブではない)とかいっているその人物。小説がなかったら無評価だ。