労働主義者(労働を唯一の生きがいにしている人達。ただしそれが好きとは限らない)一般は、資本家をねたみつつ合理化(いいわけ)する。いわく働かない人生は悪だと。ところがこの考えが欺瞞であることは、彼らが彼らより勤勉で金になりづらい職(芸術家、食えない職業など)を虐めるのでよくわかる。
 結局、労働主義者たちは自己正当化のために自分たちと似ていない職種の人を誹謗し、差別しているだけなのだ。それはとても卑しいふるまいだ。彼らに狡知があったら大資本家になっているだろうし、彼らが高潔だったら前衛芸術家やら在野の哲人やらボランティアワーカーにでもなったろう。
 労働主義者らが労働者にしかなれないのはよくわかるにせよ、自分たちの至らなさや誇りの為だけに、他の職種へ誹謗したり差別したりするのは、まったく彼らの分限に反するというべきだ。彼らが求めるべきなのは資本家による過度の搾取から彼らより恵まれない職の人々への公的調整であって、他ではない。
 ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットといった資本家の頂点に位置する人達は、過剰な金の使い道を慈善事業にしかみいだせなかった。資本主義のしくみそれ自体が、公的調整の能力を殆どもっていない証拠だ。現状の資本主義単独では全ての需給を一致させられない。
 ところで資本主義の進路に対しては主に2派が居る。1つは完全競争市場をめざす自由主義者、もう1つは国という単位で市場統制をはかろうとする国家主義者だ。私の意見では、自由主義が勝利する。
 戦争に備え必要な食料を確保しておく農業保護関税を除けば(農業のGDPに占める割合は少ないので国単位で保護してもほぼ経済に影響がない)、国際貿易の自由が需給の一致をよりよく満たすのは明らかだからだ。
 今日の先進国で、国家主義は誤解された共産主義の変種だ。市場放任の合理性を、その中で必要な所得・資産の適度な調整と混同しているからだ。国家主義者の殆どは、諸研究で明らかになってきたよう生まれつき一般知能、IQいずれかが低い人達である。
 だから市場統制が市場放任よりひどい経済環境をもたらすとは彼らには理解できない。日本でいえば、皇室ふくむ大資本家や大企業群と政治献金で癒着した自民党は、国家主義の扇動を通じ、かれら衆愚を味方につけている。それは市場統制の権力を一手に握るためだ。要するに国家第一とは新共産主義なのだ。
 生まれつき一般知能・IQが高い人達は、この国家主義のもたらす、将来性のない不条理を様々な角度から憂いている。私たちが安倍政権や、トランプ政権、ブレグジットに感じている違和感の正体は、愛国心に偽装した新共産主義の不合理である。
 大まかにいうと、もともと国家単位での市場統制は、命をつなぐ食料とか水といった最小限度の保護関税を除けば、あらゆる面で合理性がない。このことと、自由市場がもたらす所得・資産格差のなかで、公共が過度の偏りから来る不公平を調整しなおす必要があるという調整的正義とは別で、しかも両立する。
 労働者一般には高い知能の者もそうでない者も含まれる。が彼らを洗脳している様々な国家主義団体は、労働者の為にそうしているのではない。単に状況が正しく分析できていないので、国家主義者は政府に頼ろうとしているだけで、なんの長期的展望も、経済学も、合理性もない。
 むしろ労働者の一部が誹謗・差別している産業界に加われない遺伝子の持ち主(精神医学界がその一部を発達障害などと名づけている)とか、清貧な仕事に携わる人達を含め、どころか資本家自身にとってさえ、食という生命維持の必需品関税を除いた自由主義の推進、全地球的経済の方がはるかに勝っている。
 結論としていえるのは、労働者一般は、金持ちに媚を売ったりねたんだりするのではなく、また貧乏人を蔑んだりいじめたりするのではなく、さらには国家主義者に変化し諸外国で同じ地球経済に参加している色々な仕事の人を排除するのではなく、全員ができるだけ幸福になるよう考えを改めねばならない。
 私がここで食について特別視することに、新興国のモノカルチャーにとって、輸出先である先進国の需要が減るのは望ましくない、という観点から批判がありうる。確かにそうみえなくもないが、現実政治という面では島国は来る対外戦争に際し、国民餓死の可能性が高まってしまう。永遠の平和はなかった。
 先進国との物価差も考慮しフェアトレードを行ったとしても、新興国の農作物を輸出すべき先は、むしろこれから人口増大が見込める地域だというのが現実だ。いいかえると、日本は既に輸入農作物が6割を占めていて、しかも大量廃棄している。地球単位でみると人口爆発の国々では飢えが発生しているのに。
 もっというと、もし食の関税を全く撤廃したとして、少子化が続く日本で消費される食料の量は、中国やインドで消費され、また不足する量を大幅に下回ることだろう。したがって農業保護の関税としても、生命維持活動に必要最小限度の量を、公共がきちんと飢饉に備え確保しておくというのが正しい趣旨だ。
 戦争など緊急時の貿易協定で、外国と食の安全確保を行いあうのは、とても立派なことだろうから、今後、全世界で協調して行うべきだろう。また戦争に際しても、軍人でない一般市民の食の安全を、敵対した国々同士であっても必ず確保するという義務を、罰則を含めこの国際法には組み入れる必要がある。