地球の人達は、殆どが自分の利己心を中心に生きている。だから彼らは自らの益となる他人を、その分だけ賞賛するが、決してそれ以上のことはしない。これは資本主義化した国々ではより一層顕著な風習になってきている。
この様な地上で畏敬の念をもたれる様な人は先ずいない。他人が誰かをほめるのはそれが自分の為になる時だけなら、自己犠牲的な人が最も先にむさぼられ、死んでしまうからだ。死後に聖人として祭り上げられた画家や詩人らは、この種の利己的人類に屠られたのである。勿論、それは悪意によるのだが。無知という名の悪意は全面的に自己正当化しきっているので、大衆全般にとって生きる上で自明の前提となっている。彼らは経済弱者とみれば虐げ尽くし、なにも罪恥を感じない。先進国と自称している社会でその傾向はいよいよ強化され、利己主義の野蛮さが当然の様に共有されている。客観主義的、自由至上主義的な利己性が全面的に採用された世界は、単なる弱肉強食で、原始共産制であった古代よりずっと悪い社会だろう。インドのカースト社会の現場がこれに最も漸近している様に思う。最小国家主義、無政府資本主義論者は自分が経済強者に入ることを前提に物事を組み立てすぎている。商才と偶然のなせる業でたまたま生き残った人は、元々それらが欠けていたので虐げられるままになった人を搾取する立場を、自身の生存への祝福や、有能性の証拠として合理化しがちである。勿論これはただのうぬぼれで、彼らは利他性という意味では最初から甚だ無能であって、生を呪われている。
ここで問題なのは、元々イエスやガウタマといった聖人が定義していたアガペーは、利己主義者が金儲けを含む生存競争等で虐げる弱者も等しく救う概念だったということだ。勿論この種のアガペーは、資本主義市場自体には十分内在化されていない。需給の一致は政府の補佐なしに必要分も果たされなかった。アメリカかぶれの日本の一部経済学者らが、政府の生存権保障という公的機能を更に削減しようと試みているのは、彼らが資本主義自体にアガペー的救貧機能がないと気づいていない(つまり神の手を信じていたアダム・スミス程の遅行度)か、元々彼らはアガペーの必要性を感じないサイコパスだからだろう。宗教原理主義による反資本主義運動が発生している原因は、アガペーによる救貧機能を果たせない米国的社会を米政府が世界におしつけている反動であると私は思う。日本の一部経済学者は、この悪意に無自覚か無反省である。彼らが社民的福祉国家やそこでの高幸福度を侮辱か無視しているのはこの為である。
逆に、資本主義市場の効率性は、需給の一致を部分最適化して行う為にしか向いていなかったともいえる。簡単にいえばブースト装置の様なもので、北朝鮮の今後の発展を思えばこの加速機能を全面的に使わなくとも結局、経済発展は行われ得る筈となる。ただ効率が悪いだけだ。そして単なる資本主義市場の元では、全需給が一致はしない。貧しければ欲しい物が手に入らないし、金持ちも金で買えない物がある。収益が上がらないが公益性をもつ交通機関や日用品の売り場ですら、すぐ撤退してしまう。少しも万能ではない。単に全体のごく一部の商品奉仕を競争的に供給できただけだ。
結局、集産主義の非効率性の批判というハイエク教義は、過剰生産の防止や市場の大勢としての需要の予測という株式投資術の為にあったもので、完全競争市場が全需給を一致させるという新自由主義的共同幻想は、もしトリクルダウン説をいまだに信じている人がいるならだが、既に敗れ去ったといえる。必要なのはアガペーによる救貧機能の回復や、資本主義市場は全需給を一致させえないというその部分最適化を意味する加速機能が本来もつ限界への経済学的認識である。前提として、先進国民が共通善かのよう思い込んでいる利己主義は、利潤追求が至上目的と胴元の天皇や株主に洗脳された結果でしかない。
現実策として、救貧機能は北欧諸国等の社民的社会が最もよく前例を示しているので、その福祉的事業体を競争的に民間委託する制度を改良しつつ取り入れていけばよい。また資本主義市場が万能でないとの認識は、効率と無関係に公益をもつ事業を収益抜きに供給する必要があると国民一般に気づかせる。具体的には、水道や救命、不可欠な交通、最低限度の衣食住の供給といった生存権に関わる公的機能は、もしそれが自由放任市場下の民間企業が十分よく果たせていなければ、市町村や都道府県、国の役場がなんらかの供給を講じる必要がある。効率性を期待するなら、民間委託先の企業や個人の能力にである。
私は安倍政権がやってきている企業国有化を正当化しているのではない。寧ろその反対で、自由市場の効率は最大限に利用せねばならないのだから、少なくとも日銀の保有する日本株は早期に市場放出すべきと考える。それとは別に、政府は福祉を削るよりその拡大を図るべく、民間委託先を厳選するべきだ。
どれほど立派な絵を根気を詰めて仕上げても、日本人にそれを買うだけの家計消費力もなければ、米国にある美術品の寄付に関する減税措置すらない。元々不利な環境で更に餓死までおいつめようと悪意の衆愚が責め立ててくる。全て、彼らの業の悪さと無知による反人道的な資本主義全能説の狂信なのである。救貧機能をもたない、または益々その機能を軽蔑し、削り去る結果、インドの道端で腕のない子供が親から乞食させられている様な光景が実現しつつある。東京大阪横浜等の大規模貧民窟の一部では既に類似のことはあると思う。なぜこの種の野蛮な非人道的大都市模様が放置されているか。日本が悪意だからだ。内需が7割程を占める日本(2017年UNCTAD貿易依存度27.45%)で、一部の外需企業からのおこぼれに預かろうなど結果無理だったではないか。安倍独裁打破後に、国内市場の健全化を行い、同時にまっとうな内需を主とした企業収益から公共の税をとり、それを最も消費の必要があるより恵まれぬ国民に調整する。
日本国民全員の内でも、最も恵まれない民が泣いていない、少なくとも国に感謝しているという状態こそ、美しい国といえるのだ。独裁政で金持ちを更に金持ちにしたところで、成金ユーチューバーは経費節税を兼ねた贅沢三昧し子供が真似、借金を返さぬ婚約者共々皇族は米英留学で国費流出したではないか? しばらく前、安倍独裁政が最も意気軒昂だった頃、ネット上で或る悲哀に満ちた事件を私はみた。そのことについて記録に残す為、同題材を扱ったロール・プレイング・ゲーム『ひきこもりのだるま』を私は作った。貧者の死はいたたまれない。皆がそれに気づいてからでは手遅れだ。因みにその事件のことは、私が関連URLも添えて官邸にメールで意見を出し、二度と類似の事件が起きぬよう救貧機能の欠如を早期に改善するよう願い出た。官邸からは意見を拝読したとの返事をもらった。子供の相対貧困率は安倍政権下で下がった様でもあった。が全体として事態はさほど改善されていない。日銀を通じた株価操縦での日本株投資家への国税供与(しかも中期投資とみられる売買代金で6割(更に短期的な先物取引なら7~8割)と過半が外国人投資家の収益。日経2017/4/6「相場のそもそも(3)日本株の主役は? 海外勢、売買6割占める」より)、大企業優遇、生活保護・障害年金削減等で、実質の所得・資産格差拡大自体は更に続いているともいえる。