2019年2月20日

高度な文明は非営利活動が中心になる

近い将来、カネはほぼ価値をもたなくなるだろう。商売の時代が終わり、趣味の時代がやってくる。
 マズローの欲求階層説が正しければ、生存に必要な物を十分にもっていてほぼ安全が確保された文明の段階で、人々が最も欲するのは愛や所属、承認以上の欲求だから、この手段としてカネは大して役立たない。寧ろ億万長者は憎まれ役だから、金持ちになることが理想とはされなくなるだろう。人々がある程度以上の承認欲求を満たして以降は、自らの最も好むところの趣味に生きることが自己実現の定義となる。十分に社会的存在価値を承認される為にも、単に営利性を超えた分が感謝や尊敬の対象となるので、この非営利的な要素が必要である。したがって金儲け自体が時代遅れの低次な営為なのだ。拝金主義的な蓄財の追求が自己実現と同一視されたり、金儲け自体を趣味にしている種類の人達は、溜め込んだカネを社会還元しない限り常に憎悪の対象となるので、愛や承認の欲求が思う様に満たされない。遂に悟り、偽善的な慈善活動で妥協するのは、金持ち自身の幸福にとって必然性がある。
 世代が下るに連れこのことはますます明らかとなるので、資本主義的な営利にこだわりつづけた国々が世界の趨勢からとりのこされる。成金達は一生を費やした大金を墓場にもっていけないことに気づき、相続税を減らそうとしたり、租税回避地に逃げたがるが、結局はどの国でも真の愛や尊敬が得られない。一方、社民主義的な幸福の追求を理想とし、無限の強欲でなく、完全に利他のみが目的の自己超越的社会貢献や、それ以前の趣味を通じた自己実現に合理的な福祉度の高い国々が、資本主義者は相変わらず夢中になっているGDP(国内のカネ使いの総量といいかえられる)ゲームとは全く別の基準で栄えていく。
 平成期前後の日本国民の大部分は、上述の文明的展開を、彼らが保守的であればあるほど理解できないだろう。米中の金儲けに魅せられ、自他の幸福をないがしろにし、死に至るまで貪欲に耽るだろう。少数の賢者らだけが先覚的に時代の流れを先読みし、資本主義のラットレースから自ら抜け出られるだろう。拝金を単なる悪徳と見抜き、心から楽しめる趣味や無償の慈善活動に生きることが真に人間的な幸福だと悟っている人々は、ある程度の生活費を超え商売する必要を感じない。GDP至上主義の国々は浪費で見栄を張りあいながら戦争を仕掛けあうが、結局は他国から真の崇敬を得られない。
 真の一流国はこれとは逆に、単なる国防費確保を超えてGDP亢進の必要性を感じていない。それらの国々のGDP、その他の経済指標は、世界の国々と比べて寧ろ中庸的なものであるだろう。しかし世界の国々は無償の慈善的な真の一流国が尊敬に足ることを十分に知っているので、寧ろ進んで守りたがるだろう。