脳の性差についてこのことは通俗科学のなかでよく語られている。いわく狩猟に向いた男性脳は問題解決を求める傾向にあり、採集に向いた女性脳は共感を求める傾向にあると。しかしこれが厳密なものでないことは性差に関する確証バイアスという観点から反証されねばならないと思うのだが。
同説は心理学者の一部が同様のことを述べている場合があるので通説の様になっている。が共感を求める男性(主夫タイプ等)や問題解決を求める女性(仕事ができるはきはきしたタイプ等)も当然いますよね。またもし真なら、男女の傾向的性差がそのまま発揮される方が進化論的に適応的なのかもしれない?
勿論、家庭内で思いやりをもって異性に接する方がよい、というのは一般論として私もその通りと思う。私が気になるのはなぜその様な性差の一般化が、最近、つとに科学的根拠なく流布されているのか? 思うに男女が似た仕事をする様になって、無能な人を合理化する必要があるからではないでしょうか。
無能な人が仕事上邪魔になった時、「この人は女性だから」と一般化した確証バイアスで無能視を回避するのが、今のところ男女同権のその場しのぎに有効なのかも? が問題解決能力の高い女性とか、共感能力の高い男性が排除されがちなバイアスなのも確かだから、現実的には有害な合理化かもしれません。
もう一つ思うのは、私も非常に共感力は高い方の人間だと思うのだけど、それにもかかわらず問題解決すべき場面ではさっさと進めて欲しいと思うのです。逆に、そういう現実的場面でもぐずぐず和だか同調だか無意義に群れて、めそめそなれあってるのは、共感性の為でなく単なる無能さの一種ではないかと。
無能な男性は無意義に群れてなれあいますし、慰めあいだか陰湿な集団イジメばかりして問題解決まったくできない。そのことはだれでも経験したことがあると思います。無能な人間というのはいて、それは男女に限らない。万事に無意味な同調求めるのは脳の差ではありますが性差で一般化は少し無理では。