よく考えるとツイッターが低俗でないはずがない。なにしろ一般大衆が雲集しているだけなのだから。選り抜いたところで高が知れているとしても、それは当たり前のことだ。私がこのしくみに期待しすぎていた。
数ヶ月ツイッターに参加してみて分かったが、ここはひどく低俗で下らない連中が知性的とは到底言いがたい排他的で差別的な内輪の雑談をしているか、金儲けをしている人達が自己宣伝の媒体にしている様に見える。
他の超一流とは到底いえない、まあ一流に足りない二流以下の文化的な活動をしている人達が近況報告などに使っている場合もみたが、この人達ときたら下衆とたわけるのを目的にしているらしく、フォロワー稼ぎのため実に下らない俗受け狙いの自画自賛ばかりしているのだ。
私は元々金儲けというのには全く興味がなく、単に生きていられれば他はどうでもいいとおもっていたし、私の楽しみは知的な本を読んだり音楽を聴いたり、自然を眺めたりすること、後は(人物画を描く為ダ・ヴィンチの勧めによって)人の美の観察くらいだから、カネ儲けはそこには全然入っていない。
金儲けに興味がないので一円も手に入れようとしたことは無かった。今も一生金儲けしなくていいならどれだけしあわせだろうと思う。よく考えてみると、私がアメーバ・ピグというSNSで震災の現地報告をしてみようと思った時から、問題がはじまった。
そこにはいちご、というニックネームをつけた男やタクマという男がいて、私の周りで盛んに金儲けの話をし、特にいちごは私に起業をもちかけてきた。私はこれのせいで2年前、ゲーム制作で起業の様なことをしてみた。本心では経済の勉強になるかと思ったからだったのだが。
確かに実際に起業の真似事をしてみると経営学が必要なのがわかるし、実践的に色々理解できる様になる。その点はよかった。タクマの方は投資自慢ばかりする男で、私はこの人やいちご、他に短期投資のたもつという人の影響を恐らく多少受けて、次には投資の勉強もしてみようとした。
それが恐らく調度一年くらい前で、実際これは勉強になった。具体的に投資商品を買って実践してみるとどういうしくみになっているか、経済の全体像が垣間見れるからだ。
去年、ある人が配信で声を聴きたいというので、以前少し試してみたことのある荒野行動という流行のゲーム配信を実験してみようと考えた。これはゲーム制作を実験したことの一貫で、私のほぼ全く売れない作品との傾向の違いを調査するためでもあった。
で、これをしばらくやってみたのだが、大体中身が分かった時点でやめた。私に分かったのは通俗的分野は、全く向いていないということだ。私の中にその要素が少なすぎる。私はもともとむしろ高尚なものに向かおうとする傾向があるか、最初からそこまで低俗になれない。
スマホもiPhone4sしかないし最新のゲームはろくに動かない。PCのエミューレターでは大して機敏に動かないし、結局、長くやっても他の俗受けする配信者らにまさることもないだろう。この様な経緯で私はゲーム配信はとりあえずやめた。
それで今年になる前に、どちらかといえば視聴専用で使っていたツイッターで宣伝したら絵が売れるか実験してみたのだが、今年になっても全く売れないからこれも不可能であろう。しかも最初に書いたよう、ここにいる人達は内輪で雑談したくているので私と同じ興味がある人とはちょっと思えない。
で、改めて今思うのだが、私はもともと金儲けに全く興味がないのである。正確に言うと、小学校4年の時は適当に文集に将来の夢は金持ちになって好きなだけ金を使うことと書いたのだけど、他にもゲームクリエイターやサッカー選手も夢と書いたし、金持ちなるものが実現するか定かではない。
私は高校の時に画家になれそうだなと思ってその道を自分にできる限り正しく進んできたのだが、これ自体は全く間違っていなかった。実際今もそうなのだから。そして高校の自分が見たらへえ、こうなるんだ、と思う様なくらいまで絵自体は進歩してきている。高校の時は描けなかったものだからだ。
私がなにに興味がないかというと、たぶん競争なのだろう。他人に勝るとか負けるとかいうのに興味が無いのだろう、多分。だから世間がカネカネいっていると逆に「うわ、競争くだらね」と思ってそこから遠ざかりたくなるのだと思う。
改めておもうのだが、世間がカネカネいってると、自分はどんどんそれが嫌になる。どうせそこに巻き込まれてもろくな目にあわない。いつも世間が騒いでいることは大概がそうなのだ。とりあえず2、3年くらい試してみた。やはりそうだった。絵を売るということについてもそうだ。
私は絵を売るものだとは全然思ってこなかった。私に興味があるのは金儲けではなくて、よい絵だったからだ。だが又もアメーバ・ピグというのにいたミューデという女が私に、売ってみろ売ってみろというので、3年だか2年だか前に試してみたわけだが、どっちかといえばやってみて後悔している。
先ず自分は自分の絵をできるだけよくする為に、自分の絵をよいものだとは思わないように訓練を重ねて20年くらい経つ。そうするとその絵の価値は描いている間は命より重いくらい真剣に描くが、それを金銭的価値に換算しようとすると命の価値なので、無限大になってしまうし、自分の為には0円以下にしなければいけない。
こういうわけで私は絵は金銭価値に換算できないと思っているし、美術市場にも全く興味がない。絵のよしあしについての目は確かに持っていると思うしそれを最大限鍛えてきたのは確かだと思うが。
こういう理由もあって、私は絵を値づけして売るというのは実質、自分では感覚上も論理上も不可能なのである。
で、もう絵を売るのはやめたいな(といっても2、3年しかやってみてないけど)と改めて思っているのだ。今。ツイッターもなんだけど。私は低俗な感じがする場所というのはどこでも好きではない。東京にも長く住んでいたけど、それで好きになれなかった。
ぜんぶ0円にしても私の絵の正確な意味での理解者というのはこの世に1人もいないので、今の様式では1枚も売れないであろう。
私が前から悩んでいるのは、stores.jpというサイトの設定では0円にできるんだけど、これで置いておいたらストアーズは置き損になるから私を排除しないかな? 1円でも売ってあげないとストアーズがかわいそうなんじゃないか、ということだ。
まあどうせだれも見てないかもしれない、というより多分みていないので、意味のない悩みではあるのだが。