いじりを喜劇や日常的コミュニケーションの方式に採用してるのは主に関西地方と東京地方の一部の文化(恐らく吉本興業の芸人達、特にお笑いコンビであるダウンタウンが広めた方式)、と経験的個人的に私は思う。いじりは他の地域で日常的に見られない習慣な上に、虐めとほぼ同値かつ下品なので、私はそれをみるたびきわめて不快に感じ、いじりをしたりされたりしている人達との関わりを即座に避ける。
(やすしきよしのメガネいじりの方が古くからあり、欽ちゃんが坂上二郎を舞台で端から端まで走らせるいじりもあったとのご指摘に)教えてくれてありがとうございます。僕は30代なので、彼らのことはリアルタイムで知りませんでした。僕がテレビみてた範囲(狭い)では、ウッチャンナンチャンとかいじり的なものはそこまでしてなくて、ダウンタウンDXっていうトーク番組で浜田雅功が後輩芸人を殴る為にやってるのを最初にみましたね。
たぶん広義のいじりはダウンタウン以前からあるんだろうと思う。キングコング梶原がやってるのは、浜田以後の虐め風のものではないか。もともと浜田っていじめっ子だったようだし、後輩芸人をいじめ役にし失敗談とかわざと語らせて殴る。で、師弟関係の中で後輩芸人が「おいしい」と被虐を正当化する。どこかで読んだのだけど、浜田は高校時代に授業中にいきなり立って、間抜けな虐められっ子的な同級生を殴り、自分の席にもどるということをしていたと。周りは呆気にとられて「なんで殴ったの?」って感じで笑ってたんだろうけど、それはただのいじめだった。が、浜田はいじりネタと解釈したのかも。
自分が暮らした文化圏では浜田のやっている様な、虐められっ子(のちの後輩芸人)をいきなり殴って周りにその不条理を笑わせる、という方式はいじりとは呼ばず、ただのいじめであって悪ふざけの一種ですからね。大阪の一部にある独特の雰囲気の中で、虐められっ子がお笑い芸人と混同されたんだと思う。浜田はもともと虐めっ子体質だからなんとも思ってないんだろうけど、浜田に無意味に殴られた芸人でない同級生が自殺しててもおかしくなかったと思うけど。松本はいじめで自殺したら負け発言していたが、要するにこのダウンタウンというコンビはいじめを公然と行う為にこういう自己正当化をしている。
梶原も吉本興業の後輩だから、浜田方式を前提としたダウンタウンDX的いじり流儀をまねようとしたのだろうと私は仮説する。現場みてないからはっきりとはいえないが。梶原のいじりは被虐される宇野常寛にとって「笑えない」ものだったので、こうやって炎上した。梶原ってツッコミじゃないボケのキャラクターでしょ。浜田的嗜虐が喜劇として成立するには、浜田が後に殴るのがオチという前提で、いじる相手の属性とか、特徴とかをきちんと見分け、適切な場の諧謔を弄し、公然と侮辱しても全員にとって笑いになる様にしないといけない。ある種の知性(立派な知性ではないと思うが)が必要だが、梶原にはそれが足りない。
ある場合(FNS27時間テレビ内「爆笑!大日本アカン警察SP」2012年7月22日生放送)のダウンタウンは、わざと後輩芸人(ピース綾部祐二ら)に浜田をいじらせて、最後に浜田がそれに反撃するというのをオチにしているから、普段の浜田による弱い者いじめを逆説的に応用したパターンを使っている。いじり→殴る、という基本パターンがあって、いじりの対象が浜田・松本より弱い者に向かうといじめ風になる。
ダウンタウンの喜劇には、「誰かをいじる→浜田が殴る(全体としては浜田によるいじめを場の笑いに変える)」という基本パターンがあって、いじりの対象が浜田・松本より弱い者に向かうといじめ度が増す。ダウンタウンは、コントのときは、浜田が松本をいじめの対象にしている。
キングコングの梶原と西野亮廣の喜劇も、ダウンタウン式「いじり(呆け)→いじめ(突っ込み)」パターンを踏襲していた様だったが、梶原単体だとつっこみがいないから、オチがつかないんじゃないか? オチがないといじりが本来失礼な演技だという常識への回帰がよくわからず、曖昧で嫌な感じになる。キングコングの漫才で、いじり(呆け)といじめ(つっこみ)の立場を交換し、梶原がつっこんでみたが無意識に呆けてしまってまた元通りつっこまれる、という入れ子構造のネタを発見(読売テレビ「漫才Lovers」内での漫才、2015年)。西野が全てネタを作ってるらしく、いじり・いじめのパターンを梶原単独では作れないのでは?