2018年12月6日

大衆芸術とアーティスト

アーティストという一般語が、芸能人きどりのネット芸人にあてられるようになる前は、ただテレビに映って芸ともいえない芸をする人や、単なる歌手にあてられていた頃があった。この言葉はどんどん通俗化し、純粋芸術の担い手らは無視される様になっていった。だがその初期には、純粋芸術を担っていた近代芸術家らの独創性への熱狂を、創造的な才に対するある種の敬意で援用する意図があった、と思われる。もっといえば、或る時期アーティストが敬称だったのは、その言葉の中に近代芸術を代表していた個人の悲劇が象徴化されていたからだ。
 だが現実に悲劇に見舞われている現代の純粋芸術家らでなく、商業的芸能会社のいわれるがままに客寄せパンダをする凡愚が今やアーティストを気取り、世間の上で名士をも名乗っている。テレビ芸能界がこの種の変化をもたらしたとして、ユーチューブやティクトックはこの大衆芸能現象をウェブ上で再現しているにすぎない。結局、大衆化や商業化が現代芸術に与えている致命的な汚点を、誰も指摘し、のりこえられていないのだ。