よりよく生きるという事と、より幸せになるという事は殆ど一致している。一般に、快苦は善を駆動する原理だ。
中道の理論で快苦の原理を無化しようとしたゴータマは、この意味で功利主義者に劣っている。解脱の立場は生命の絶滅を願う虚無主義に陥り、苦諦によってうらみを言い訳する。だが功利主義は涅槃を超えて幸福を最大化しようとするので、積極的に次世代をもより良く変えていこうとする。世代を超えた功利主義、未来に向かっての功利主義が涅槃を超えた慈善の立場なのははっきりしている。死者の弔いや名誉の尊重は、遺族や信者・縁者にとってのみでなく、現世代や無数の次世代にとって死後を憂う必要性を漸減させ希望や楽観性をます為に功利的である。死後の前世代は現世代より優先されるべきではないが、しばしば次世代の幸を慮るより高徳な楽しみという意味で、現世代より次世代が多少なり優先されるべき事もある。この意味で前世代、現世代、次世代の優先度に違いはあるものの、全世代功利主義は無余涅槃の立場を超えて優れている。無論、ここでいう功利性の範囲に動植物や生き物すべてが含まれるべきである。