物事を抽象化して考えられる能力と、過度に単純化し偏見で捉える事は別である。しばしばある人が複雑な事を複雑なまま捉えるという時、物事を抽象化せず具体的に捉えている筈であり、そういいながら抽象度・具体度を顧慮せずある物事を複雑化して考えているなら、単に認知的負荷が増す。我々が認知的に賢明さを感じる思考はおもに抽象能力であり、実は単純化の能力ではないのだろう。複雑化は詭弁術や詐欺的言動、又は言葉遊びに多く見られ、しばしば物事の本質を捉えられずいたずらに迷う愚劣さの証ともなる。具体化の能力は、抽象化の能力と一対だが、ある人が必ずしも同時に持てるわけではない。科学の上で、分析的思考は一般に具体化の能力に結びつけられ、総合的思考はむしろ抽象度を上げるという意味で個別の科学分野を含むあらゆる知識についての哲学として捉え得る。多くの場合、差別的偏見は単純化に起因し、抽象化にはあたらない。例えばある都市圏の犯罪率が他より有意に高い時、その都市民が一般的田園民より犯罪者の割合が高い、ということは抽象化だが、都市民全部を犯罪者と考えるのは過度の単純化である。この例は論理学上の全称・一般・個別の違いを正しく使い分け得ない誤解に基づいているが、必ずしもこの種の例が論理の誤用によるのではない。