2016年8月23日

道徳論

道徳あるいは倫理はとある時代と特定の場合における実践的な生存上の知識であり、自分に最も役立つと共に、利他的である。また、道徳上の最高善の段階が高い程、その知識は時代と場所とを問わず全時代的かつ普遍的・全場所的である。
 真偽と善悪は異なり、善は真の、悪は偽の真部分集合である。
(善⊂真)∧(悪⊂偽)
美醜は、真偽や善悪とは異なり、美は真かつ善の、醜は偽かつ悪の真部分集合である。
(美⊂(真∧善))∧(醜⊂(偽∧悪)
聖俗は、真偽や善悪や美醜とは異なり、聖は真かつ善かつ美の、俗は偽かつ悪かつ醜の真部分集合である。
(聖⊂(真∧善∧美))∧(俗⊂(偽∧悪∧俗))
 善は、上述の様に、聖や美の補集合であると同時に、真かつ悪でない集合の事である。善は、単に自らにとって自己犠牲的かつ他者にとって暴利的な行動・言動ではない。自己犠牲は利他性の部分集合で、善の全てではない。自己犠牲が善の場合は、限定的である。
 資産は自ら利他的なつかいかたをするか、誰かにさせないかぎり、資産のみならず蓄財自体も悪徳に近づく。道徳的に生きることは、善き言動、善き行動を習慣づけることであり、最も幸福な生き方に等しい。最善の生き方をえらびとる人は、政治・経済あるいは社会においてもそうであり、人々に幸福をもたらす。最もふさわしく利他的に言動・行動した人が、最も幸福で、最善の人物である。聖人は最上の人物である。