2016年7月18日

芸術論

芸術の創造は、一定の規則に従って機械的に営まれるものと正反対の作業である。それは不規則で、殆ど生産的に見えず、さも怠惰か客観的には意味不明であるが、少なくとも主観の中では人間的な合目的性をもっている。
 芸術やその作品が、経済的な価値を付与されているのは、単なる誤解だ。元々商品としてみれば意味をもたない、死んだ形式が芸術だからだ。装飾品としてみた芸術作品は、形式的な堕落に過ぎない。本質からしても、芸術は意味を外れていく活動である。その意味で遊びに近く、仕事にはさも見えない。だから、芸術家達の生活はさも非労働的で、経済合理性を全く欠いている様にみえるが、それは正しいのである。
 芸術は単に非経済的・非商業的な活動であるのみならず、最終的な活動でもある。だから、商業に基づいた価値判断の上で芸術は永遠に意義を持たないし、それにもかかわらず、全ての人生にとって最終到達地点として存在している。人間は死ぬが芸術は残るからだ。全ての遺伝子はある段階で途切れるだろうが、芸術は別の個体あるいは生物へ伝わるだろう。ゆえに、芸術作品とはそもそも人間の為だけの創作ではない。それは殆ど自然の一部であり、自然そのものである。