2016年2月28日

知恵について

哲学が最高幸福なら、最高の知恵をえたひとが最も幸福だ。それが人生の目的ですらある。最高善とは何か、最高の知恵とは何か考え続けることが人生の目的だ。言語活動が人類の特徴だから。言語を用いて知恵を探索する事。
 国では政治集団が大きいほど愚か者が紛れ込むので、賢い小集団の国が最良となる。県についても同様だ。集団の平均的賢さが高まるのが善である。自分の属する集団が、前より賢くなるのが望ましい。知恵のある経済は常に、量的に少ないだろう。取引される額も優れた経済では少ない。量的な経済はむしろ知恵に反する。理想的な経済状態は、慎ましやかな規模なはずだ。経済は質的に論じられねばならない。GDPの額と、幸福ないし知恵は関係がない。優れて有益な商品、を小額でも取引している方がくだらない商品を大量に取引しているより優れている。相手の為になる商売がより優れている。最も優れた商売は、徳を増すものだ。愚かな人間がろくでもない商売をするとしても取るに足りないことだ。小額であれ生活可能な範囲で商売ができる様な、国なり県で、立派な仕事が成立する。知恵の親と、成金の親では前者がより模範的である。商売には今述べたような種別があるので、優れた生業を、知恵ある人は選ばねばならない。知恵ある経済を目指すべきであって金の多寡は本質ではない。人々の徳をます仕事に就くべきだ。結局、最良の職業とは教師だろう。立派な教師の与える感化がすべての職業でも最も優れている。なぜなら知恵を与える仕事だから。芸術家あるいは著述家も知恵を与えるが、教師のような直接の指導には及ばないだろう。芸術家や著述家には未来の世代にまで知恵を与えるという別の利点もあるので、ろくでもない教師よりは優れた芸術家のほうが偉大だろう。立派な教師はその講義が人々から記録される場合が多いので結局、著述をしているのと同じ意味をもつ。