宗教はインストールタイプの哲学で、教祖に大部分のプログラムを任せること。本当は自分でプログラムするべきである。
哲学の違いがあるから紛争が続く。宗教が戦争の元凶で、学派である。理性が優れていたら、未来人の教祖になる。過去の哲学者たちがそうだったように。
設計ミスがみつかる事からも、神は必然にみちびかれているわけではない。すべてのエントロピーが極大化したとき法則は消滅する。言葉はいうまでもなく地球も宇宙も崩壊していく。しかも偶然へ向かって。
人が理解できる程度の神は聖人に過ぎない。神はただの理想である。科学は自然や社会が理解できるにすぎず神を想定できない。神は人間の妄想だ。時間はところどころで停止している。ブラックホール近辺で。ビッグバンというのは妄想だ。宇宙の始まりなんてなかった。時間が停止している場所があるだけだ。宇宙は時間の流れがはやいところと、遅いところがあるだけだ。かつて人類はビッグバンを背景放射から想定していた。実際はその熱は別の原因、星の爆発など物質の摩擦で生じたものだろう。ビッグバンは創造論を信じている西洋人の妄想だったのだ。宇宙は最初からあった。時間は流れにすぎない。時間は現象の方向性である。存在しか物質ではない。宇宙はそのまた外に別の宇宙をもっていて、無限に続く。
無生物からできた自己増殖系である生命、ウィルスと細胞は本質的に同じ。多細胞生物も同じ。増加しか本能がない。われわれの言葉も生命のメタファーであって増加ばかりしたがる。情報も同じ。ウィルスと細胞間で遺伝子競争がある。進化の原因は、性選択以外にもウィルス要因説があるのだろう。
真理が自己目的だと思っている人が多いが、人の言語は社会のための道具だ。自然科学は社会学の手段である。基本的に社会のための知識ということ。
出産が苦痛なら少産、生殖行為が快楽なら積極的となった為、性の分極化に寄与しただろう。遺伝子の多様性と優秀性(増殖の効率性)が均衡したところで社会制度がとまる。生殖優秀性しか残らない。性行為優秀性ではない。自慰は生殖機能維持の方法で、パートナーが見つからない期間が長いときに生じた現象だった。それは精力の無駄遣いなのでキリスト教等で禁じられていた。先進国は遺伝子多様性を最大化しようと予想外の技術革新を生み出しがちである。脳の重要性がまして、身体的特徴より脳のよさが重視されたり、産業段階で異性への好みが変化する。今言われてる障害には将来、優秀性にかきかえられるものが沢山ある。あるべき表現は障害ではなく遺伝子変異である。文明は古代人からは障害者の団体とみえる。近現代日本のすべての公立学校は天皇の私的機関みたいなものだ。
文明が遺伝的多様化を目指すのは技術革新で産業を飛躍的に進歩させた、過去の実例を模倣再生産しようとしているからだ。健康のみが遺伝的価値ではない。子孫をあまり残せない条件下では、自分に近い遺伝傾向を応援するのが、競争的な妥協点なのだろう。