わるい人を崇めることはよい人をおとしめるに等しい。これを悪口という。わるい人を批判するのは、よい人を褒めるに等しい。これを正直という。悪口と正直は逆概念である。愚者は悪口、賢者は正直である。
これらは判断あるいは理解、物わかりの良しあしであり、ある批評が良い批評かどうか、つまり的確さにかかっている。物わかりはその人の賢さの程度である。あしき批評は悪口であり、よき批評は正直である。物わかり或いは理解は、批判、批評、criticといわれているある事がわかるという判定の能力であり、それが個人または法人に関する人格に関していわれたとき、よき批評は人々を正しい方へ、あしき批評は間違った方へいざなう。
よき批評、よき理解、即ち物わかりの良さは哲学が行う全ての業の中で最良のものの1つである。あしき批評あるいは物わかりの悪い人間の政治はより悪い結果に至るが、よき理解の者の政治はよい結果をもたらす。善政と悪政の違いは、前者が物わかりのよい者の業で後者が物わかりの悪い者の業な点である。
愚者を政治の長に定めている集団は悪政により破滅する。侵略を是として悪政を布いた薩長藩閥は自滅し、天皇家は敗北した。悪政は民衆にとって暗黒時代が続くことを意味するので、善政を執る者のみが政治家としての名誉を得るだろう。正直な集団は善政の為に繁栄し、汚名を被る事がない。偽りの偏見は結局、その悪口をしている集団を悪政に陥らせるにすぎない。