2015年6月19日

模倣と創造の現代的意義

写真美術の登場で模倣的な独創性の消失された現代美術の流用世界における真の創造性とは、適切な二次創作性をみいだすことである。無限の模倣の連鎖のなかである適切な二次創作的翻案の配置を織り込むことである。シミュラークルの世界とは現代美術の通奏低音であり、すべてが翻案の世界のなかで情報変容にすぎない。自分が手を加えた電子情報はオリジナリティの中身を抜かれて誰かの二次創作となって再び翻案されていく。線描や色彩、自然、人物、人工物の全てまで、宇宙とは既に創作されていたものであり、いかなる美術手法もその為の支持体ですら己の創作ではない。全ては模倣である。必要な創作性とはその模倣の中で最善の模倣をする事に過ぎなかった。色彩や構図、光の意味をかえた二次創作物、動物の命についての帰属性、広告物の所有性、リミックスやアプロプリエーションアートの中には巨匠からの継承と何らかの美術手法の模倣で綴られてきた全美術史が織り込まれている。自然の模倣もオリジナリティの否定に過ぎない。自然の模倣は二次創作に過ぎない。人体の模写や風景の再配置すら、既に創作されたもの、神の創造についての模倣に過ぎない。また、人が手を加えたもの、絵の具配置の模倣もまた、この世の創作性とは全て宇宙についての二次創作性であり、真実の独創はありえないとしらせている。模写や何らかの平面的な色彩乃至発光物質とそのデータの意味的再配置には二次創作権が生じるが、いかなる絵も何らかの宇宙内の物事の模倣である限り、所有にまつわる著作権を究極で主張できない。どこかに同じものが生じ得るし現にエントロピー増大則に基づいて全てが再び無数に生じている限り、絵画芸術とは公共財でしかありえない特質を持つものであり、近代の著作権は原理的に成立不可なのである。巨匠の模写あるいは巨匠自身の傑作ですら、独創というより翻案であり、自然の再配置に過ぎない絵画美術においては翻案の巧みさ、高い文脈や現代的な再定義などの二次創作性を、商業活動を含めた単なる芸術上に問い続けることしかありえないものである。創造とは優れた模倣であり、独創ではなく翻案が、創造物の再配置による二次創作性こそが真の芸術の意味内容である。