2014年3月9日

歴史学

江戸幕府の公武合体策の始原は、安政五年(1858)頃、大老井伊直弼の腹心である彦根藩士長野義言と、同藩士宇津木六之丞との間に交わされた手紙にはっきり示された、志士弾圧や朝臣威嚇によって朝廷を屈服させた機会を捉えた、幕府による朝廷統制策だったとされる。その政略結婚即ち皇女降下案の目的は、朝廷へ禁中公家諸法度を厳格に守らせると共に朝臣へ経済的援助を行い懐柔、実権とは別に表面上の公武合体を示す為であったとされている。(『日本の歴史19 開国と攘夷』小西四郎、1984年、中央公論社、208page)