2013年2月14日

国奴制度の不幸

人類がいきながらえてきた根拠の内、同類のおろかさから身を退ける事の合理化が最重要課題だった故に、国民は別れ又民族や語族をもうけた。方言はことばが人類にあって共同化のはじめで、うまのあいかたに等しいとおしえる。
 やまとは奈良の一地域名だから、やまと人のやり口がやがて島を覆う様になったのも一つの偶然によるのだろう。訓よみや、送り仮名や振り仮名での漢字の文字化をはじめとして万葉仮名の成立、そして平仮名と片仮名をもちいた仮名まじり文へと文章の規則を、天皇家が和歌集をもとにいれかえてきた。この和歌とかかれ、やまとうたともよばれるみじかいうたの57577という韻律さえ、皇帝というものがまとめたがった系譜にあるといえる。それ故方言としてのやまとことばはこれらの背景にある発音や、いいまわし、語彙を提供した。そして皇帝政治は、いわば支配語の確立により少数言語を改鋳していきながらえてきた。それは又少数語族や少数民族というものを国内から弾圧していく経過だった。
 所で、日本列島というせまい適所にやってきた人々は、はじめ自由となる仲間達だったろう。彼らは新天地として無人の島にたどりつき、定着し、自然の中で身を立てていたのだろう。我らの学識では縄文時代迄がはっきりみえている。そして弥生人が朝鮮半島から渡来してきて事態がかわった。彼らは稲作の技術による蓄財の利で、支配と被支配の社会をもたらしてしまった。この精華として奈良の奥地に、ある富裕の家が生じた。この豪族は支配領域を広げて、自らは労働をしない選択肢をみいだした。皇帝の名義を遣使をやって中国語から借り、天皇とした。こうして日本列島の中にはびこる帝国主義の原型ができた。王と奴隷が別れた結果、天皇の定着地には甚だしい差別がうまれ、それは特に定着期間の長かった関西地方にのこる風習となり特定地域とそこにくらす人々となっている。この奴隷的な被差別部落の人間層は、王族としての天皇が搾取の風儀によって生み出した。もし平等化が目的なら、その人物は人間への支配を望まず、縄文時代の様に仲間への寄付をしただろう。
 我らが弥生式の社会にいごこちがよくないのは、その渡来系の社会が朝鮮半島からきた異物であるばかりか、もともと極東にきた原因にも背いているからだ。いわば天皇は異物であり、弥生文化である関西地方も日本ではない。それらはもともと、日本といまはよばれる事になった島では、比較的新しい上に出自のしれない徒花の様なおごれる地勢とよこしまな人員にすぎない。本来の日本はそれらではないし、それらがのっとる事もできない。
 既に冒頭説明された様、衆愚からの離脱は進化の第一義だった。それはおそらくあらゆる転居の理由だし、大移動か小さなひっこしかによるが人類を別のよい条件へ転地させていく原動力になる。つまり天皇や関西に関わらずとも人間はいきていく。そしてそれが本来の日本の姿だったのだ。
 人間は幸福感を、不平等によって失う。要は、朝鮮半島からやってきた人種と民族とはおもに関西地方へ定着し、文化や世界観に於いても不幸をふやすばかりだった。その権化である天皇の原型は既に帝国主義により奴隷をつくる体制なので、単に関わる程不幸度がふえる様な実在なのである。それは商業慣習と化した蓄財の癖がしみわたった関西地方においても同じだ。東京は江戸として、1603年に関西近辺の不幸へ対比させられた商都をになった。そしてついに天皇が真の不幸をうえつけにやってきた。結局、運命は同じだろう。奴隷制度は裏をかえせば皇帝制度といえ、天皇制とは要は国奴制にすぎない。