2012年2月10日

制限された著作権と制限されない閲覧権の違い

インターネット上には成人向けの商業化された各種の猥褻物が、各国のウェブを通してかなり放任的にやりとりされている。これらは特に「版元や制作者、製作企業側が訴えにくい」という猥褻物頒布罪そのものに属した商品については、まったく捜査も検閲もしえない状況にある。
 まずそれらを調べるためにさえ一度は購買しなければならない、といういわば商業化されてしまっている品物へは、警察のどの機関もそれを購買する側が猥褻物頒布罪への加担である事を否定できない。いいかえると、それらの「教育・風紀を監視する機関や協会、個人からの無償且つ無制限の閲覧権」が保障されない限りは、どこで何が起きているかさえ把握できない悪どい巧妙な仕組みがある。
 これらの新たに人類が直面しているメディア情報界から導けるのは、あきらかに衆目が一致して不埒な制作物を公衆への散布のために商業化することは猥褻物頒布及び陳列罪にその商うという再生産をいざなう悪意をもった社会福利への害によって違法だが、それらを閲覧する事は、たとえ商品であろうと確認に必要な限り合法だろう。
結局、法益の観点からみなせばこの閲覧権というものは年齢にともなう理性の成長からまっとうな判断力を期待できる成人以上には現在のところ無制限でなければならないのだろう。慣習とみて、先払いのもとで猥褻物やそれに類した公然猥褻罪が営まれている場合でさえ、それが公共心の高い誰かによって事前に察知され通報されない限り、行政府や警察組織が知る事にはならない筈だからだ。
そしてこの際の通報行為者は、他者からの報復をふせぐためにはプライバシー権を守られるか、場合によっては通報そのものが匿名として扱われてしかるべきなのだろう。先ずそれらの閲覧によってしか悪意がどこで行われてどういう状況かも知り得ないという複雑な媒体商業についての入り組んだ構造が、こういう報告者らの新たな権利を保障させるはずだ。閲覧権の無制限さは、現状のところは彼らがそれらを公衆へ再供与しえないだけの理性と判断力の認められる成人である限り、つまり周囲の責任のある教育的監督下でしかそれが保障されてはいけない未成年とは区別されながらも、全くに制限されるべきではなく、さもないといわば一般公衆から隔離されたなんらかの条件下で商業化された蛮行が興味のない大衆から免れたままで進行しないとは限らない(この危険性は近いうちに九州や西洋のある国でも見つかった監禁罪に類した蛮行の例を引くまでもないだろう)。これらが少数の悪徳集団をこえて観察されえるためには、なにが行われているかを試す非商業的で特権的な閲覧権が要請される一般市民には与えられるべきであり、それがもともと猥褻物関連罪やほかの法律たとえば覚醒剤取締法などに違法な作業が行われた現実または仮想上の取引だったとき、代価を支払わなかったとしてもその人物の徳行は逆説的に赦免又は報償されねばならないはずだ。

(現行でいうと、各地方行政のいわゆる幹部や、議会や、教育委員会が実際にそれらの物品をどういうものかを実際に現物をその場で閲覧できないと状況が理解できない、という一見に如かずの意義があるかもしれない。その際にわざわざかえってこない料金を払ってそれらを参考にするのはおかしいか、狂っている。なぜならはじめから行政の怠慢によって他の刑法を無視して放置されてきた違法商品なのだから。このばあいの参考物はできるかぎり即座に手に入りえるなら少なくとも現にあるなんらかの商慣行が大幅な混乱に陥らない範囲ならば、そもそもが違法な物なので、どんな取引状態にあろうと現物の参考用供与には問題がないはずだ。
古いたとえを引くと、ある卑猥な芝居小屋が人身売買をしているという観察できる疑いがあったとき、侍はその犯行現場を目撃する為に代金を払わずひそかに状況を確認後報告すべきであり、その際に料金を払う事は相手の罪へわずかであれ加担する業であればこそ、勿論できないはずだ。仮に支払うとしても囮の件で藩の許可をえなければむしろこの侍自身が教唆罪で起訴されかねないだろう。同様の作為が一切のネットワーク上の電子情報にもあてはまりそうだ)。

端的にいえば、違法情報の取引を調べるにあたってはそもそもそれらが違法であればこそ通り一辺の商慣行を無視しなけばならない。この為だけに「違法コンテンツ」とされている猥褻物取引が、少なくとも一般公衆の目に入りえない場所で完全に通常の著作権からくる代償を無視されているのは、それらが全く閉鎖的会員制で隠されながら商取引されてあるときよりは公民による調査をたやすくさせる又は、無用な罪業をそれ以上まさないという一分の利点がある。この際の成人へは著作権の例外規定を援用して特に制限されていない自由な閲覧権が法的になければ、ほとんど無限の広さをもつ電子ネットワークの隅々まで実際の警察ですら調査することができない。ごく明確にいえば、再配布のおそれのない閲覧側にはほとんど無制限な自由が保障されるべきだ。
この判定は検索用のサーチエンジンを私企業あるいはその会社ごと検閲するよりはまだ市民の良識を信用するという点で、安全な権益の実践なのだろう。どちらにせよ判断力のないいわば理性の劣った成人後の公衆そのものは商業化された上のそれらからの悪影響を免れることはできないのだから。

 未成年者への監督義務をこえれば、著作権の例外規定としての猥褻物取引に際しては、単に取締の便宜の為だけにその閲覧は見る権利として、飽くまで非商業的でなければならないだろう。
同様の法の実践的原則は虚構としてなったほとんどの製品ならびに製作物にもあたる。だから小説や漫画、読物(江戸時代以前でいう読本、戯作)その他の視覚的ではない表現行為へもあてることができる。