2011年6月10日

政治学

はじめにphilosophyの語をつかいはじめた古代ギリシアの自由市民らは、democracyという政体を消去法でしか捉えていなかったらしい。アリストテレスがその名を留める貴族政は、彼らにとっては最優秀者単独支配ができないとき次善の策として練られた、防衛者の数へ中庸の政体だったと思える。
 アリストテレス自身は、公共政、republicracyを最も妥当な群衆支配として捉えていたらしい。Demoへは熱狂にほだされた民衆という意味あいを伴う一方、re-publicという語彙の上には低落と混乱から再び人々がおおやけを造りあげる、といった日本語の「おまつり」に近い響きがある。
 歴史上デモクラシーが復帰しその権力をふるいだしたのはアメリカへ進出した植民連合が、イギリス本国の租税率へ反抗し独立型の国政を国王不在でつくりあげて以来。だから日本のみならず斯く政体理念そのものは決して永遠でも、正義の核心でも少しもない。単に、それはアメリカ系イギリス人の移民らが旧体制への一撃、つまりクーデターか維新として自ら掲げた無理な理屈だった。なぜそこでrepublicの語でなくdemocratが好まれたか定かでない。一つ考えられるのは、イギリス本国にいた知恵者或いはいわゆる哲学者がはじめから無法者への蔑称か揶揄をこめてその本々よくはない響きを敢えてつけておいたのだと。民主革命とか民主主義による独立宣言とかいう具合に。しかし、アメリカ自身が憲法を策定し実際に本国を凌ぐ覇権をめざしだすとこれが地球中へ輸出された。だからアメリカと関わった国々、そこへ憧れた国々では民主主義は決して負の状況をさす語ではなくなっていく様だった。現代、民主主義という理説を抱えているどの政党や個人、国家や成文憲法、それどころか擬制化された君主さえもこの手に負えなさを原義に引いた一つの政体状況をひきずっている。それどころか、衆愚なる国柄からおしつけられているとさえいいえるかもしれない。
 こういう全ての経過をみかえすと、もしうまくいかなくなった群衆支配の名詞としての民主政を信じている限りは、その政体が手に負える秩序や望ましい平和への協定を達するのは殆ど無理に近いくらい難しいだろう。デモクラシーが常識づけられるとより堕落した群衆支配の名詞としてmobocracy、衆愚政がいわれはじめた。しかし、よりアリストテレス時代の原義にもどれば、モボクラシーは堕落した群衆支配なデモクラシーの一種であり、それらより優れたリパブリックラシーとは意をことにするか。こうして既に君主の器やその血統と血族による強固な同系支配の古代封建制度や神格化と神話での民衆洗脳による古代王権がとけてしまった国々では、単に共和政への途上をその親船であるアメリカ合衆国のdemoからおしつけられるにすぎない。当経験は多くのばあい歴史ある文化の再起動であり、時には伝統の廃絶を伴い、選挙権やいわゆる民主憲法などの早政一式と共に全階級をふりだしにもどしてごちゃまぜにかきまぜてしまう。我々がこの押し付け民主政の過渡期に体験するのは凄まじい混乱と本来のアングロサクソン社会で営まれえる程度の理念らのかなりの取り違えによる頽廃、そして今までにないおかしな副文化の発生と商業化での均質な大衆社会の形成である。
 これらを経過してきた民は、思想の植民国なアメリカを愛憎半ばする悲喜こもごもな感じで見守りつつ、再び歴史を再開し直すしかない。但し、そこへは既に絶対勝者たるアメリカのルールが敷かれており、しかもそれは彼らの都合で最もよくかえられる平野である。こうして民主主義は少しも永遠でない。それどころか時によれば最も卑しく軽蔑すべきつまらない理想で、単に狂乱した勘違いでしかない。「おまつり」は各自治体か共同体の最も適した姿が似合い、他ではない。民主主義が似合わないうからはそれをいつでもすてるがいい。そして最も自らの立場に叶う最も理想な政体を目指し続けようとするがいい。どれだけ複雑又は素朴なそれでも人々は己らの同輩ともがらが最も望ましいと信知まことしる政体を自在にとるのがいい。結果、社会毎の多様さと共にその内のどれかどこかには社会淘汰の原理で他よりずっとすぐれた体制が築かれることだろう。そして外圧か革命、それに類した移植や習いでよりすぐれた地域が多数派圧制をこえても広がるだろう。