2011年2月17日

菅政権への提言

根本的に、菅首相の哲学か思想、考えにはなぜ経済成長しなければならないか、という要点が欠けている。その要点に欠落か空疎があるので、多くの国民大衆の共感がえられない。己より年長者かつ老賢な小沢氏いじめもこの共感されかたの低さからきた八つ当たりに、程度あれ相違ないだろう。

 菅首相は次の事を理解されるとよい。経済が即幸福ではなく、不景気が即不幸ではない。しかも企業法人の儲けと国民の懐具合は必ずしも比例しない。
つまり初歩的な功利主義から導いた「国民の幸福」への政治上の実践をするには、格差経済をつよめるさらに堅固な新自由主義的な市場放任で足りるとは少しもいいきれないのだ。それそのものは19世紀的な段階にあって最適だったかもだが、現代で即通用するとは考えにくい。

最大の弱点は関西系企業法人格が根からおひとよしであり、一様に量的功利説を信じているとはかぎらないという一点にある。極論すれば、楽になった法人税制での優遇をえてかえって国内景気を致命的に冷やす暴利、つまり過半数の本社の海外移転や資本移動にでても菅直人首相にはなにも責任がとれないし、そうなったら彼自身はヒトラーを全然嘲笑えなくなるだろう。
完全にひえきった景気状態のもとでどの地帯出身者が長者番付けに華々しく登場したかをみれば、私の推察が必ずしも無根拠ではないと実証されよう。関西文化圏ではホームレスを助けるよりも、かれらの目の前で浮華に騒ごうとするほうが普通の心象なのである。

私にいえるのは次のことだ。
『企業性悪説を採用せよ』。そして現状では国民からの支持を官僚からの評価よりも最優先させるべきである。
さもなければ大部分が心情および現に農村出身である日本国の民主主義に農政革命を公約した民主党への信頼は完全に失墜し、二度と政権与党へ復活しえないであろう。おもうに、日本の農民は第一次生産者としてその全国各種の職業人よりも強い、政治生命への生殺与奪権を現にもっている。
茨城県議会議員選や名古屋市長選の結果は、小沢一郎氏の予言が的中したごとく農政側の支持こそその議員の延命には決定的ということであり、なぜならかれらは「土地を出て行く気がなく」、「裏切る余地がなく」、要は「土地権の最大の保持者」なのだから。もしかれらに支持を失えばその土地でのいくらの金持ちだろうと伝統的役職だろうと、必ず仕返しを受けるに違いない。

 企業性悪説は、いおうものなら彼らは暴利にしか関心のない最悪の禽獣類とみなし、国民を養うどころか金を貪り尽くす以外の理由も原因もない俗悪なる害毒主体と仮にみなすことである。
ここから導きうるのは、法人税の徹底的な増強、政府が主体となった希望者全員雇用公団の設立(つくりだした国内および国際奉仕活動への税の再分配)、消費税制面での一般国民への最大限の優遇、そして大学以上の高等教育の徹底した無償化など。
つまるところ市場放任が有効需要の漸次な逓減へは最適であるといった自由主義の原則を仮に捨て、政府を最大の国内企業とみたててしまうべきだ。

これらの一見すると社会民主主義的・社民主義風の政策態度は、にも関わらず財投議決をこえた権益ではないので、もし企業が「内部留保の解放」をめざさなければ国内からは生き残りがきわめて難しくなる環境条件づくりによって、枢要な本部をのぞいての各製造部門は外部注文され、且つより安価になった知的に高度な層(これは後期高等教育の無償の為に最も地産地消しやすい人件費用である)の開発部門における早期雇用の回復をはからざるをえない中で、日本国の将来を先進国の次世代形としてふさわしい選良が育ちやすい適所にかえていく。

そしてこの少々の忠告と真逆の、現行の菅直人首相が行いつつある旧態依然とした大企業優遇と過剰流動式な不安定雇用の量産による総生産向きな経済成長をつづけさせようとするかぎり、私のみる企業法人やその株主の性悪さによって(なぜなら多くの資本は生まれついての商人気質を完全に残存させている関西圏やそれにかぶれた西日本一帯にもずっと集約しているのだから)、国民には絶望と無職状態の延長や派遣偽装抜けの解雇暴増のためテロリズムによる現政権破壊への意志が民間あまねく蔓延するであろう。