2011年1月7日

首脳の批評

現首相は次の点で誤っている。
 先ず税収の増大が国民の福利と必ずしも結ばないことをみのがしており、よって法人税の軽減策は「(所得差増大で)社会格差を広め」、国民の体感する不幸さ、いわば何となくの恵まれなさをますだろう。之は最小不幸化という理念と噛み合わぬ。
首相の空想は、企業の内部留保がそのまま雇用創出へつながる、といったある種のご都合主義にある。
いうまでもなく、目の前により安い労働供給があれば、つまり開発途上国のあふれた労働力かそこからの移民団を指すわけだが、企業の経営者が賢明なら使い勝手のわるく高い固定費用を抑えるため、大多数の現にいる解雇しづらい国内失業組よりそちらを自然には択ぶに違いない。
 次に環大平洋自由貿易協定への参加は、もし国民の理解を得たくば、優先順位として、もっぱら先により弱い立場にたたされるのが確実な農業主への援護対策という点から始められねばならなかった。
どう考えても既に優位にたっている多国籍化された企業、アメリカの番付にも常駐するトヨタ自動車や経営者の国内所得に於いて最大であるユニクロを運営するファーストリテイリング等の高所得団は、まずそこから恩恵しか受けず、「全体の奉仕者」としての国家公務員の心得にもとづけば、これら一部の事業者へ阿るのはいかなる観点からさえ浅ましい税収目当ての癒着なのである。

 これらはもし現総理の合言葉を返せば、最大不幸化への方策としかみえない。実際に、300億円の年収をなんの臆面もなく懐へしまっている俗物は生まれつき心身へ不具合あり目の前で苦しみのうめき声をだす憐れな家なしへ一銭ばかりか愛想さえ売らない。
いまの状態で使い捨ての劣悪な労使へ期間契約を結ぶしかない最も弱い立場にいる若者、及び求職中か職の間でまだ年金をえられない壮年以内の人物、並びになんらかの理由で寄る辺なき鰥寡孤独:カンカコドクを余儀なくした年金給付さえうけていない老年者、かれらが行政のいかなる事由に於いても命を投げ出して助けるべき主体なのであり、決して経団連どもの愚老ではない。
一般に、営利をなりわいとした大企業の経営者及びその投資家層らは、全国民から公に信任された国家公務員とことなり国民の福利厚生よりはるかに当座の営業収入、つまり利潤を目当てとしている。或いはせざるをえない。(但し宗教法人、半ば学校法人、並びに非営利団体と協同組合を除く)。
このために政府という公共の福祉に立脚した機関の長が、税収でおのれが喰うために法人留保をまそうとするのは失笑もの、それをこえて噴飯ものでなければ自作自演の猿芝居以外なんでもない。残念ながら我々には堪忍袋へ権現様未満の少なからぬ度量があったが、もし国民らに憤りをおぼえる内蔵器官が具わっていれば、このインチキ薩長政府ごと倒朝殲滅以外に道がなかったであろう。

 さらに思想上の欠け方をとえば、昨日(2011年1月5日テレビ朝日系列、報道ステーション)の会見でちらっとのべていた意味のない雇用か投資、こういった概念は、純な経済学面にみればやはりありえない。或いは単純に税収から給与所得の恵まれ過ぎた者に於ける一種の傲りである。
道端でごみ拾いをし、それを再びばらまくのに金持ち(民間企業か国営企業かをとわず)が力を貸すだけで国民の福利は増大してしまう。勿論、違法や公害となる営業形態へは一切の妥協なく規制がいるとしても。

私の洞察が正しければ、以上に指摘した三点。乃ち
1.法人税の軽減
2.環大平洋自由貿易協定(TPP)へ参加する際の手順
3.意味のない雇用という考え
をあやまちとして修正し、その逆の手を打てば国民の福利は増大する。要するに
1.法人税の増大
2.農業支援後のTPP参加正式表明
3.雇用に(公共福祉の範囲内で)意味を問わない
こととすればよい。

なお小沢氏の選挙戦手腕で地位に着いた若造が裏切り者の本性もあらわに国民へ冤罪のだまくらかしをかけても、孝行の観念がきえぬかぎり我々は小沢元代表の一主権者たる心情を、現首相の浅薄よりも優遇するであろう。