2010年2月17日

文明生態学

最もはじめに宇宙の合目的さを見つけた者はそこが広がる中で一定の法則を保つ領域を感覚原理の恒常さ、恒久しさの中へ確かめえた。そしてこれに宇宙と同じ名義を付し、彼らがあてられる自らの理解できる比例に応じて世界を捉えて行った。この方法で確かめられたのは、宇宙は普く法則的というより、彼らが認識できる所でそうなこと。←→全知は現世で可能。→法則知性はその感覚原理を元にした理想の程。∧この程は、彼らのもつ比例論の道具による。
 宇宙の審美観は彼らが感覚原理にもとづく快適さや快さをその生態論の延長へ投影できる環境認識による。このため比例のあてはめが法則知性の既にある秩序と合えば合うほど彼らの主観には生存への希望が生まれる。∧恵まれた生態という信仰が法則知性の推論の規則の連なりの先へと育まれゆく。⇒客観では人類の主観としての感覚原理は決して普きものでない→|法則世界への快さの信念が一つの宗教界を科学界として形作ったとしても、知性はそれを主観でしかうなずけない。→主観の規律を如何に築き上げても、∨その代替可能性や代替できそうさが他の知識体系との間の交流の道を開いたとしても、尚もこの科学界は知識の主観からの選択を免れられない。生物学上の趣好の原則は全知識界のもつ傾向にもあてられる。だからこの原則が当て嵌まる限り、異なる文化圏からはまた異なる知識体系が選び抜かれる‥。そして、彼らが未来像へもつ快さへの理解もかなり違う。⇒科学の趣好は彼らの主観を反映する。同様に、法則観はそれを見つけだす能力について等しく選好を行い、しかもこの能力はかなりの世代に渡って行われた自然や社会選択の比例論へと彼ら自身が宛がわれた文明場誘因によるだろう。
 文明場の種類はかれらが趣の向きを好む知識の質的傾きへまとめつけることを普くのりとらせる。もし文明場の原則にみた知識界の感覚原理からの反映を、世代間の淘汰されるべき傾きへしつけるなら、なぜ文明の同位種が同じ感覚原理をもたないか、彼らの出がことなるのに交易か分かち合いができるかを程度問題で解決できる。知識系統の同位さは比例論への潜在か顕在の選択誘因の既存系列によっており、この出か配列に類比があればあるほど趣の向きには一定の規則のやりとりができることになる。
 純粋数学面からいかなるやりとり不能さもない、と定義できるとして、その実践面ではやりとりの間にかかる機会費用は感覚原理の系統的同位さへよっている。→やりとり可能さは度合いとして遺伝子か文化素の、又は両方の、或いは両方の積和たる育まれ方つまり育種因にほぼつづく。比例差が現れやすい育種因のみに仮に注目すると、文明場の本質は何らかのまれな配列でこのちなみをつぎつぎ組み替えていく仕組み。だから文明場とは一定の様式ではなく、つねに置き換えられている仕組み。∧おきかえは速さのみならず多さにも当たる。これが誘因にみた文明の場に重なり合いが可能な最大の理由。|多さだけの置換えならそれは移動化や遊牧化したろう。速さだけなら遺産よりも再生産率がのぞましかっただろう。
 文明場そのものにも選びと趣向の変異がかなり普くある⇔やりとりと発展とはそれらの出会いを宿命づけているよき秩序。←→秩序は孤立し、環境収容力的偏差をとりかえせない限り同系配列で衰退しきえゆく。