2010年2月25日

比較文明学

人類がその末裔迄を過ごす大きな条件は彼らの僻地さ已。国連系統は皆宇宙文明の中で別の変異を被る。故人類がその侭で遠い世代へ伝わりはしない。∵惑星外との折衝は違う姿をとる。只の系内秩序にみた人類生態は巣の広さ已。全産業もその部分集合。∴文明さは巣作りの程度已。文化反応はこの感覚原理版。
 文明らしさには一つも種内生態の外に出る事実なし。系にはその他の生態をある程度より含む。故縁起体とみた生態は文明らしさの偏りをとりこむ系の秩序度に鑑みる。地政文明史はそれらの移ろいが単なる仮囲いであること、又常に隣あう系との縁起体として已成り立つ形也と教う。地政文明史は生態論へ、その物理化け学条件が皆かれらの既存条件也と教う。|生態論已にみれば生態の系統的進化は縁起界の理想条件で一応の定式づけ可。←→文明系統樹は一部。それらの複ね合せは生態論を理念に与える。⇒物理化学は文明界を記述すべき塩基順列に(¬∀地球型では)条件化している。∴生態論から皆文化素の流れも演繹できる∨確率法則化できる。
 引力場の強さ他置かれた恒星等環境のもつ化学条件が元々の宇宙斥力に与える何らかの当たりはその多様化へ働く。→生命力の当たりとは生化学の比較論に入る事実で、何らかの外力によらない。宇宙斥力はそのおもち状の形が外側から引っ張られる事による単純な逆二乗則の分量しかないが、ここへ加えられる生化学場の条件には千差万別がある。
 生態論が文明単位で省みられてすらそうなので、全て宇宙系同士ではこの違いは決定的。→生化学の比較論には自らの体系が不可欠。←→基準となる原子量の無限階層論には足場が築けない。秩序場の単位が全て比較文明の基礎。←→秩序は比較級を持たない∧∧秩序は不動。|宇宙に偏りがない→秩序は不動、これは矛盾。∴宇宙に偏りある限り秩序は可動(QED)。
 先ず引力場の大きさはその足枷を除く。次に比較文明はより望ましい秩序を知性づける。原子量の単位が違えばそこへ働く化学変化も地球型¬。
秩序の偏りは微分界にも当たる。∵微小条件は引力場の強さに対する反作用系の定常観→大引力場の最周縁圏に定常化された系では微分界に著しい多様さが用いられる¬¬小引力場の中心圏は流動観の高さから化学変化に非法則種への条件がある。遊牧文明と農耕文明という二大分類にしても、この二種の偏りに全く符合しきる訳ではない。⇒狩猟文明界はそれらを跨ぐ。∴僻地系を除き全文明場は競争か共生的。全ての中立さはそれらどちらかの系統へ繰り入れられがち。狩猟文明界は移動的、遊牧文明界は流動的、農耕文明界は定住的。之らに運動か地政が生まれるのは必然∵合理化は先駆種を育む∴「進歩の文化」のみ系統樹を接ぎ木し、他は滞る。