2010年2月16日

文明生態学

いくつもの生態間にみつかる共通項としての法則はそれがもし感覚原理下のほぼ等しさを担保とすれば、違った興味のもとに似た知識体系へのきっかけとなるかも。これらは文明のくみかえを促し、彼らが生態上に違った秩序をそれぞれ鑑みるに値す。もし最小作用の面からみれば知識はその記録形式へも違った秩序を導入しやすい。これらの関係は別の研究要素となる。ゆえ文明史は可能で、それは系統、達成、特徴についての知識を分岐させゆく。もし知識文明が交易すれば当然、性質に違った化合を催す。ゆえ文明のくみかえは生態学の一種。哲学の面からは構造主義の流れを、比較文化論をこえてこの化合資質の連綿として捉える観点がいる。なるほど構造主義は形而上思想のうえでの流行だが、人類の科学の営みとしてみれば工業文化だけの近代さを大きな目では部分集合と考える視野は社会生態学に入り、総合すれば生態知識という社交生物の生物学野に含まれる。ならば実証できる。
 耕作、店舗、すみかの順で発展する社会生態密度のかわりばえは、もしあつまりのおかしさ、いいかえると突然変異の出現率で鑑みるかぎり文明のくみかえを本質とする。それらの間には化合の系にいくつもの可塑さをたもつ条件がある。仮に文化適合の上等さでみると、文明のうつろいには系の經緯が「一定の等しさ×少しの違い」を理由とするほど多くは望ましい、新たな変異をつくる働きがある。配偶子の異系か同系のみのり豊かさへの接続と似た規則がみつかる。逆に拡散し系統には安定した母集団がなくなる。
 もしこの微差の適度さを考えれば、当然ながら好ましくない変異も違いに入るので稔りのよしあしに限って、繁殖力か強壮さの議論になる。極めて繊弱だが有用さや審美さの高い、また稔りには特徴がないが別の特徴を伸ばしている変異も文明の内にはある。これらの変異はいわゆる樹木遷移用語での表相種的な立場にはないだろうが、系統にみると要素たる文化面での品質を問える。