2010年1月22日

人類生物学

人類自身を唯一の知性とみなす根拠は少なく、その中身は正当化の論理としての神学化に戻る。只の社会構成に省みて知能は生態機能の特徴にすぎず且つ変異内。これらの訳は高等範畴をくみかえる必要はその生態機構が入れ替えられればありうると言え、しかも環境条件による。権能としての知性は神学構築を除けば一切が主に同種間協調の段階に求められ、この加速度は分業についての文明逆数による。社会行動の記録は人類が協調の枠を広げてのみ母系の繁栄を謳歌したこと、及び歴史はその自己展開を資源と産業段階についてそうしてきたと示す。単に人類内の原則は以上の法則性に叶う行路を日々辿る。そして人類なる種の変異内では文明逆数をこえた一切の自己展開はない。巨視すれば社会とは彼らの建築と帰巣のつながりでそれを少しも出られない。文明の本能をもつ生態構造に人類生物学の知識を集めゆける。我々はこの学識から諸種に渉る建造の方針が彼らの内部生態内でいかにつくりかえられてきたかを余さず知れる。
 性能にみた諸種の内、獲得形質でない変異の幅を仮に一定の違いとみなしそれらの間に品種分類はできる。この知識は我々がつくりあげる社会秩序のうち如何に彼らを適所に置くかへすぐれた解決法を与えるかも。更に、遺伝毎の分岐がいかに法則だった系統樹に沿うかを教える。反社会行動、とされるほぼ同値の教育程度内で発生する、学芸へ昇華されない乱雑さの確率は当然、種内変異にも当たり、また学芸内の概要は何れ劣るか仕業にすぐれぬ変異としての多数派を整理させる根拠になる。教育組織がこの種の模倣変異種一帯への再獲得条件づけの作為でしかないので、淘汰勘定にすれば多数派を保護する合理性はなにもない。つまり、我々は論理だったいくつかの評定平均で凡庸を整頓する知力からの構成をみいだせる。
 ある期間の平均変異割合の内、独創性をみせる選種誘因が高い程その遺伝系の比較有益さは十分。一般の商勘定が凡庸さへの取引還元誘因なら人口比÷無業率は彼らが同等の商誘因空間内ではより選れた情報量の消化を果たせる内部秩序の目安といえる。この種の変異は当然、商取引の様な既に流通している遺伝変形とことなっていることだろう。最も滞留的かつ後続的な遺伝子の溜まりは政治系をつくり、その不満分子比率に応じた犯罪死角の構造づけを行うのが普通。即ち政治系の大きさは整頓か粛清されなかった遅れた遺伝変異を残している、といった社会構造に於ける不合理さの証。現実にできるかは別に、最小限の政治系はそれを誘う商誘因という凡庸種の池同等に、上述の変異比率を所謂法規制の自己正当化で下げてしまうが故に淘汰必然的。
教養度×人口比÷無業率=特異性保守率
と考えられ、又この値が高い程その集団か種条件は他の特定社会行動に結ばれた既存の出来損なった人類全般よりも次の進化にとって決定的に有利。この相対した非既存社交系の内からのみ次世代の全く目新しい変異は出現確率がある。
 続いてきた協調の内部にこの割合が高い程、人類はその生存域を広げる。よって選種誘因としてみた特異性保守率は他の一切の凡庸種への停滞をきたした社会系よりも、本質的で不可欠に類の機能拡張を担う。