2009年11月23日

情報法義

情報の非対称さは国家間にいたるとき最も甚大な被害を及ぼしがちらしい。この離れは現在では軍事技術間になるとき最もあやうい。乃ち公益に類する隔離、国八分化はその国家体制を世界の大概の軍事literacyからひきはなすため、そうでない強化済み媒体より競争力を削がれがちである。強化された、とは情報媒体にのせうるその量に依存し、情報のばあい質とは単位量に還元できるので、結果、最高に強化した媒体とは同じく最高の伝達である。
 乃ち情報の非対称は伝達媒介力により、又それは媒体のもつ単位情報量による。ゆえ軍事に限らず国家の最大の安全策とはこの能力を文化場ブンカばの内にできるだけ確保すること、技術の可塑を含むやりとりを可能なだけ自由に放任することだ。反証、たとえば滝川事件と情報統制がいかに国家内で当然起こりえた技術上や思想上の進歩を妨げたか。
 戦争の潜みを失わすにはその国家間の情報流通を最大級の自由にする可で、なお言葉の壁はのこるが、これが一国家化を阻む慣習差につながるので競走態勢の維持として、人類の民族間変異のうちによき遺伝か進歩した文化を擁護させる。つまり生まれ育ちのつよさを保つ。ゆえ悲惨さの極限たる侵略型や報復ぶった戦闘的威嚇を防ぐに、できる手だてをこの国家主義権力への抑制とした情報の自由か自律と呼ぶなら、これこそ我々が今知る潜みへのうまい国際除去措置となる。いわゆる私的所有域にかぎれば、いかなる情報を保有しようとそれは自律に任せらるべきなのだ。世界ではいついかなるときにこの熱狂的御宅が救世主に転化しないとも確約しえない。対して、福祉目的に背く商取引についてのみ商道徳面から権力介入は可能で善意となるのである。
 理想主義を政用に省略すれば、少なくとも計略上協力の方が知的であるときのみこの国家との情報流通の解放は頼もしく、そうでなければあし。ゆえ現実面では、巨視へも国八分目は現段階では最善なのだ。つまりつきあいたくない国柄とは情報をとりひきするだけ損や害になる。裏も信ぜる、乃ち情報取引に損害なく利益ある国柄、かしこき群れとは付き合いたいかまず是非そうたる筈だ。