理性と知性の分離はカント哲学の最も主要な達成であり、前者を実践理性、後者を純粋理性と同じ理由の名で呼んではいたが、より平明な表記に於ける理と知の差は、それが形而上学か後自然学というアリストテレス的伝統の学問体系の凡例(乃ち範畴論)の中でニュートン力学の樹立と共に当時めざましく展開しつつあった自然科学の領域とは異なる理由づけの領域を確保しようとしたカント個人の定義だと云える。そしてこの定義を否定した明白な論説の個性は見当たらない。理性と知性の分岐は正当なカテゴリーだと現代では考えられている。
しかし次の事は理解しておくに足る。理性の実質的内容物とは、その個性が有した経験則を含める知識の総量なのである。もし社会学あるいは社会の学という後起の科学を自然学あるいは自然についての知識の一分野として認めるなら、結局、理性というカント的定義が本当に指し示している中味とは総合的知識量のことなのである。そして一般の概念に直すと、これは教養のことだ。つまり、哲学という諸般科学探究への動機づけの名義が用いる結果は自由教養または一般教養という古代奴隷制下のギリシア自由市民が愛好や何れ愛惜したその参照物と重なる。だから一見するとカント的な理知定義には批判の余地がない様に見えるが、彼による三批判書以前のこの様な初歩的な源流域に遡ると、殆ど素朴なまでの認識界に於ける知覚にとって理性と知性とはまったく一致しているのであって、自然科学と社会科学との分類が常識化しだした近代の能率優先な蛸壷分業制学園思想がそれらの分裂を、いうなれば諸国民の富への急ぎ足の野心から謀ったのだ。西田哲学に於ける純粋経験への感情論的批判としての三木哲学に於ける構想力概念とは、カント語彙の借用によっているので洋の東西に共通の文脈下にはない。つまりカント的構想力は上述の知性(慣習訳語では悟性)と判断力という概念を中間項として繋ぐ為に導入されているが、三木のそれは西田哲学が開拓しておいた主客未分の強すぎる厳格性をただただ理知(ロゴス)の統一に片寄った論だとして情緒(パトス)の側から再統一を試みたものである。
もし西欧大陸に於ける思想潮流とブリテン島に於ける一歩の速度差とが理性と知性を大きく分割させた西洋風近代化だけの特殊事情なら、多くの途上国か後進国ではわが国が短期間に急激な勢いで経験した複合性をまた、それぞれの近代化経験の中で必要か最低限重要とするだろう。
よって、私は三木哲学の主要概念である構想力とカント哲学のそれとを明白に峻別しておくことは、その文脈の輸出や摘出にとっても相応の功績があると思う。いいかえれば、日本語の中での語感や漢字表意適性から三木に於けるイマジネーション概念を想像力或いは単に想像と再解釈しなおしてカント哲学に於ける構想力の概念とは別に保って措く事が、私達人類精神の知識の内で将来の教育的規律、つまり全認識の分析と総合の効用を高めるに違いない。想像と構想の違いはこれらの文化史的定義の為により精確とされ、結果、単なる理知の統一としての構想力と、更なるその上に情緒もしくは感情との統一を果たした概念としての想像力、とは我々の社会哲学の中で等価に且つ別々に用いられ得るだろう。
世事へ最も疎いほど道家に親しんだ諦念の人はこの意義を殆ど断章取義の虫ピン作業にしか価値判断しないのだろうと、慧眼の教えが千里の道への一歩から出発し得ると十知できるほど生来学問好きなら、なぜこの小論の趣意者が一文字の違いをわざわざ長たらしい理由づけで満たしたかも予測できるかも解らない。それは近代化潮流を接ぎ木した跡を内発的それと遜色なく成長させきる為の一節なので。