2009年8月3日

生物と機械の連環

宇宙の中で生命体が行っている生化学反応系は主にその可逆要素集合の増大である。だからこの反応が必然に斉す作用も同じ、変化への貢献ということになる。ではなぜ世界は変化しつつあるのか。現在の知識で言うなら、膨張とは斥力系として万物を外側へ引っ張り出す。この作用はm=Acというごく原理的な数式で示される様に質量保存則が引力収縮の反作用としての熱力学崩壊を秘めている証拠でもある。つまり、生命体は少なくとも質量の形態なのである。生物という化学反応系は、物理がより複雑な崩壊を伴う為に用意した可逆性へ向かう一形態といえる。
 もし人類を含む地球生態系とその論理に意味があるなら、それは彼等が総体として如何に可逆秩序を外部化しうるかという物理論上の観点に基づく。進化が推奨される唯一の原動力も之である。より少ない仕事量でより大きな可逆秩序を掃き出す生態機能は、その経済性の為に自然の中で日々より広い地位を占める。機械という永遠性により近い可塑能力を与えられた生態がやがてそれ以下の生命体を駆逐する未来は当然視してよく、又進化の必勢として全体の生態系の生物量は機械の登場と増大によって寧ろ益すこととなる。本能乃至小脳を保持した現生人類が今より遼に進んだ理知乃至大脳を備えて成熟する、という将来は極めて早期には高度に独立した極寒適応内同一種族以外の社交と戦争との傾向に害される限り殆ど希望はない。若しそれがあるなら、現生人類らが絶滅した後で取り残された諸地域の独自分化によってだろう。この必須を十分考慮すれば、機械の創作によって擬似人類へそれ以上の極端に知能の高い演算装置を組み込むのは生き残りと進化の観点から正当化される。仮にその仕事量上の大勢力によって既存人類の労働力的不要化が急激に逸ったとしても猶。