2009年6月14日

政術不一致論

芸術の文化とはつねに既成概念を破格する予想外の場所からのみ栄える物珍しい花、ということなので、歴史に幾つなりとも実例があるように、特定傾向のそれのみを政府が優遇して保護すると必然にその文化は頽廃し、衰微するものである。

 メディチ家が保護してからルネサンスの草花は一息に活気を失って即刻没落の一途を辿った。現代フランスが芸術の中心地としての地位を失っている最大の原因は、特定傾向の表現以外を異端として退けることを強要するための、古典模倣の大学であるエコール・デ・ボザールの確立に等しい。黄河文化圏では国家保護官僚のもとにある文人学者の正史以外は俗の芸事として斥けられた為、すでにかつての華々しい殷賑は跡形もなく不毛の涸れた土しか遺っていない。江戸幕府はキリスト教を迫害するために聖像をよろこばなかったので、この国内には如何なる天才的画工が存在していても永久に最期の晩餐や最後の審判は描かれなかったのである。ささやかな花壇へ植えるために外人からお世辞でほめられたブーゲンビリアの株だけを増産しようとした警護員が、庭園の主人、植木屋どちらからも受けた反対や警告を無視してその奇妙なよそ行きの移植種だけを優遇する。結果、土着していた真実にめずるべき世界中でここにしかなかったタンポポやアジサイはすべて成育を阻害され、揚げ句にはおよそ人文教養というものに触れたこともない見栄っ張りの海のものか山のものかもしれぬ警護員はそれらを抜き去ってしまった。あの外人がしばらくぶりに眺めてみれば、あとには笑って通り過ぎるしか価値がないだけの無惨な邯鄲の歩みが遺された。
 外交と国防にしか本来縁のない政治屋風情が無限の多様性と生態的秩序のもとにある繊細きわまる感性、底知れぬ自然愛が必要不可欠な文化芸術の耕作地へその生れつき野卑な土足で入り込むとこうなることだろう。何千年も戦場で過ごしてきたその鉄下駄の無遠慮な踏み足によって。