抑、社会が持っている知識の総量が実質上はその民族集団の相対的秩序だとすれば、道徳もこの総量の一つだと考えるのが穏当だろう。文明、とはこの社会秩序の単位なのである。
文明度が比較相対比でしか量れない訳はその社会学概念の本質が常に偏差値に基づくからだと言える。文明の概念には市民化を意味するcivilizationの訳語としての発祥が込められている。ふみあきらか、という呼び声には知性の度合いがおもとして文の、literatureの修養に於いて測られてきた史脈がみいだせる。
市民開化の度合いをこの面から、社会集団の持っている知識の総量から計測するのはやはり妥当な分類法になると思える。偏差値である限りその上下動は自然だし、尚且つ当面の成果型が理解できる範囲では経済力の各種の指数よりも長期間に及ぶ社会変化の法則を見つけ出すのにこの指標は有効である。文明度を関数として定義すると、
Civilization Level=(Literacy class/Population)×50%
の数値間比較で与えられる。すなわち
CL=0.5L/P% の値が相対的に五十からどれほど推移しているかが実質的な文明度の値である。
流率で示すと、tを各系に共通の時間と置いて
ΔL/ΔP∫[0→t]d(0.5f)%=ΔCL
よって、このΔCLつまり文明流率が高ければ高い程、その社会集団は相対的に進歩している国民なのである。
かつ、更に詳細に計測する為に読書層を微分し、
ΔMathematical Literacy Class/ΔLiteracy Class Population∫[0→t]d(0.5f)%=Mathematical Literacy
は、数理読書流率を示す二重積分演算で計算できる。
∴ ΔML/ΔP∬[0→t]d(0.5f)%=MCL
の関数に於いてMathematical Class Literacyは、実質上の文民偏差値を示すものと言っていいだろう。
我々はこの数値を比較検討して、どの社会集団が将来的には進歩に秀でるかを予想できる。この変数は当面の産業情勢の移り変わりに左右されない分だけ、ある国民の中に潜在する国力の長期的指標として各種の経済偏差値より有効だと考えていいだろう。