2009年4月5日

重農主義の回復力指導

各交通路の間へ如何なる政策上の介入も防ぐ放任戦略によって、最も輸送の機敏へ適した安上がりな運通手段で農業者間での功利を目指す経営合理化の努力を、我々は国内の食料生産質量へ広く誘引すべきなのである。単なる消費の物量から引き出した減反政策や中央分権的重商化の弊害は結局、現国民性の総大阪人化に至らせるに過ぎない。そしてこの種の商売専守国民が通例とするがめつさ、狡猾な守銭奴の性格、或いは逆転して拝金主義的豪放を好ましいとすら見做す深謀遠慮なさはみな、我々が自らの郷国を金儲けの為に土地の神ごと売り払った因果となるのだ。
 重商主義偏向政策は自民党独裁がますます近視的搾取にしか目的を措くまいとする浅ましい税吏の徒を、どうやって普遍的国民性の上に位置付け天下らせようか思案しているか、にしか意味内容を持たないと云える。もし強い地元魂をもつ気骨ある士がこの事情に眼を啓くなら、先ず独裁政党で弱体化しきった中央政府のおしつけがましいマンガ式等分割政策案を自律して却下するであろう。そして地域連盟を通して一方的な減反や生産統制の暴威を地域市場の確保で否定し、より粘り強く勤労をつづけ改良された設備と科学的農法によって生産力を増大させることで諸外国の安価な量産品に負けないほどの競争力を身に着けようとするだろう。農協に属する限り一定量以上の耕作物が買い上げられる仕組みを設けるのは、極端な生産量偏差のため仲間割れを起こし兼ねない以上困難である。したがって流通と販売をも通信機器や運送業の自社化で一括して管理できる方がこの資本的経営を推進するのに好適である。地産地消の用語は又、輸送費というものが日用食料に限っては、いいかえれば奢侈および気候上収穫や栽培の難しい珍味を除いては原則的に最も近隣の地域へより生産上有利になる条件づけであると教える。ある国家が使い得る土地あたりの農業生産力の範囲で最大限の合理的経営を図ることが、輸入品との価格競争上で、輸送費と単位面積あたりの生産質量との市場取引間相殺作用で拮抗する成果を挙げるには正道である。
 これらは日本の内で最も面積あたり土地価格の安い、広大な酪農適地としての北海道を米国型の量産体制へみちびくこと、あるいはまた急峻な山地が過半である他の内国地域では極めて土地生産性を高めた北欧型機械農法へ現行の労働集約性を徐々に改良していくことが今後の課題に足ると考えさせる。
 一般に生産物について価格平衡の作用を鑑みればいかなる立場からも過剰生産ということはありえない。余った品を輸出しないまでも、国内価格がよりもっと安くなるだけである。万が一捨てられるとしても、それは家畜をはじめより低次の消費者や分解者にとっては以前として栄養たることをやめない。なんらかの不純物からの生物濃縮をさえ注意深く退け、自然浄化の作用に待つかぎり最終的には堆肥として、再生産へ寄与する。すると世の中に惠まれ過ぎるということはありえない。この点で、政治屋とか商売人が単に外交方針とか儲けに対する売り損ねとか云々をするのは元々、国内の全生産物が無料になるまで豊富となったあかつきにこそ語るべき地口でしかありえない。それらは生産者への誤った考え方、おそらく儒学的なまつりごと至上思想の出世欲と悪感情が引き起こす価値の転倒なのである。植物に依存する動物がその果実をあしざまに罵るのは痴愚を超えては倒錯でしかない。つまり儲けにしか関心がなくなった哀れ窮まるあきんどは餓えながら血眼になって働くが、その品性は同情を買うよりもずっとカネにしか執着心がないという点で永久に貧困なのである。もしこれが真実の見識なら我が国民存在をミダス王の轍へいざなう政治癒着の悪徳財界人とやらは一切粛清されるべきものである。