2009年1月5日

個性の仕組み

社会なる模倣の場が進歩的な個性へ抑圧を加える程、変異の幅の低さの為に将来に済ってこの国が比較的に、文化間抗争の劣位に置かれるのは自然の流れだ。世の中へ進歩の国柄と保守の国柄が大きく二分されて行くのはその掻き混ぜる仕組みを望まない限りは避けられない。進歩的な個性は彼らの独創の為に、凡庸を一歩なりとも出ない人間達の危惧と奇異の対象となる。然し文化史上の賢明な慣習により、結局は質量に同質の集団はより強力な多様性を普通とする集団の侵略を被る定めである反省から、恒に既存体制の不足を補う能力は個性を融和より尊ぶ民族、自由が至上の価値観と仰がれる土地柄から現れてくる。そして被征服国民がやがては彼らの懐かしい粗野な体制を瓦解され、自由の原理を受け入れざるを得ないのも最大級の幸福を浸透させるという変異の公理からも当然。
 単に強制的終焉を以てせずとも、野生を脱しないだけの活動習性を反省し自己啓発する道筋を見つけ出せない後進の民族は、貿易という価値観の交換の機会を彼らの欲望にかけて否定し続ける訳に行かない。世界史の建築本能はこの面でも、気配りの行き届いた摂理の設計を通して、彼らの活動という自然の働きがゆっくりとしてでも激しい起伏を経由してでも夫々異なる姿を採るべく配慮を凝らしている。進歩の遅速は文化の波を作って、及ぶ限り契機の異なる個性を世界内へ編集する。