2008年10月28日

感情論

人類一般が幼型化の傾向を示すのは、彼らの性染色体の母系性から明らかに、我々自身の理知に対して感情がより優位になる経過をも示している。ある競争の限られた環境へ人類を囲い、この楽園かで自己進化させれば一層明らかに幼型化の洗練が現れる筈である。対して理知とは、彼らが大変に厳しく競争する地域に必須な習性なのであり、これは理性に対する知性に関してより顕著なことと思える。単に理性により仲間と協調するのみならず、より激しく他人を出し抜く必要がある場所では知性の充実が謀られる如くに。
 感情とは、ある安定して緩やかな協調のできる場所についての習性であり、決して人間競争の結果とは感じられない。従って、文明諸国ではその発展の恒久さが試されるに連れて、必ずや感情の洗練の程に最高度の品性の目安が見い出せるだろう。なぜならばこの文明社会の目的は、周辺を要領よく治め済う過程で、対外環境より対内環境の恒常性を高める生命体現象に比類できるのであって、我々自身が人間へより有益な種類の養生に事欠かない程、つまりこの国家がより緊密な紐帯で自らの繁栄の為に協業の度を高める程たしかにその神経系統としての個々の細胞すなわち個人には至微の高さが、性格の繊細さが要求されることになる。比較的粗野な人にとって、文明の環境で彼らが如何に複雑な神経を働かせて日々を立ち行かせているかは同じ種類から生じた現象とは信じられない位である。
 結局は人類自身から分岐してより広範な生態を生じるのはこの不眠不休の神経系統が身体全体に統率を与える能力について、と思える。理由は彼らが社会を形成する限りその伝達経路の拡充が情報化の結論に当るから、と言えそうだ。人類が遠い将来に、我々自身と何らかの近似を保った系統発生の証拠を短縮された胚割の間にのこすとしたら、それはおよそ間違いなく我々自身の幼型化の傾向としての伸長性、すなわち理知に対して感情知能の優先の傾向である。我々自身は大人にならない範囲について、成熟的諸形質の縮小として人間性がある一定の場に固有の速さで、ばらばらにではあれ進化するのを日々細やかで複雑な機構を築き上げる社会の秩序へ観察できる。彼ら自身が天敵に災いされない幸せな時代を続ける限りこの半ば孤立した星の中では独自に、固有の協調系として生態間の相互救済作用、共生進化の体系化の流れは避けられはすまい。すると、人間性に限度があるならそれはやはり同類間互恵制度の定式化を目指す経済人の理念に、好ましい程度の普通さを単に社会性一般の秩序型として求めざるを得ない。そして現行人類の課題とは、この福祉救済方法を単に同類のみならず彼らの看護可能な生物一般へ及ぼすことにあろう。ある習性を他の種類にとっての相利関係に置き換えていく人為的な工夫が自然の容量を殖やす方便なら、この巧みさは真に慈悲の理想を競争原理と調和させる経済感覚に由来する。