2008年7月24日

喜捨の気象

一国の栄華、これが究極目的ではない。

国は他国の模範と成ることを通じてのみ、国統を全うするのだ。
故に、国内がつとめて清貧に甘んじる時にニュースで黒人の産業が繁栄して行く有り様を眺められれば、それより幸せな気象があり得るものだろうか。
 なぜヨーロッパで有色人種が蔑視されて来たのか、それが普遍に問われねばなるまい。
学識によって? だが不器用でも精一杯努力する生徒は常に、何でもこなす優等生をいつの間にか追い抜いている。
産業によって? 政治体制によって? どれも一時の偶然に由らない理がないなら、勘違いしていた古代の民を哀しむ人種偏見の認識が行われる限り人倫は、改革される余地を残している。

誰が平和を望まぬであろう?
産業の成長そのものが自己目的なのでは決してない。それは人間福祉の方便である。
ODA拠出を通じてのブーメラン効果を恐る位の国内産業体制はもとから甚だしく腐敗していたのだ。

もしお歳暮に見返りを期待する者が居れば、人は偽善の誹りを免れまい。
ODAは少なくとも、現代の喜捨である。よってその縮小、という事は先ずあってはならない。正しい優先順位である国内調整の前に、喜捨を投げ出す者を国際社会は見放すであろう。