植物の緑はクロロフィルとカロテノイドが光合成の好適条件として、地表面での最大限の照射を期待できる長短極端の波長を選択した帰結である。則ち、赤と青紫の光を混ぜ合わせてみれば緑が現れる。これは始め自然現象によって原核生物の一種が誕生して以来、地上では葉緑素を通じて最大限に太陽系エネルギーを得てこそ生き延びられたことが原因だ、と考えると説明がつく。300nm以下の波長や700nm以上の波長域に最適化した別の光合成細胞を形成した仲間は、海底から陸上へと進出するどこかの地点でエネルギー効率の不利から淘汰されてしまった。故に葉緑素という細胞気質が植物を有機体の協業組織として特徴づけた。緑でない植物は特殊な環境にしか適さない訳だ。しかし我々は多様性を乱費するという自然の性格から言って、深海や深林、或いは洞窟や高山など光の条件が平均的な地表面から遠ざかるほどこの種の緑ならざる植物が生き延びているのを発見できるはずだ。事実、水分子により白色光が青みがかって拡散されてしまう深海では、地上より比較的に短い波動の域に適応した植物の方が光合成能率は良いはずで、だから深海植物は原始形態としてカロテノイド側である青紫色を吸収すべく葉が赤みがかっている筈だ。試しに緑と赤の光を混ぜて見よ、我々はその橙がかった色味を深海の底の植生に見いだせるであろう。ここから、我々はカロテノイド分岐を辿ってクロロフィルのそれとは別系統の植物樹を遡りうる、と演繹して良い。実際に、より低次な、と言って誤解を招きがちならより古典的な植物であればあるほど、クロロフィルよりもカロテノイドに光合成の効率を依存することを見つけ出せるだろう。
赤色を吸収するという特徴は明らかに大陸棚に近づくに従って芽生えた進化の、又いわゆる適応放散の結果だからだ。
私はここで海底を原核生物発端の仮定としているわけだが、その事実有無にもかかわらず我々はかの放散が地表と海底とを植生で占めるにあたって赤紫の葉を持つ種を結果として駆逐したという事実を、現在の地球における葉緑素の広い実在から当然の結論と考えてよさそうに思う。黄緑の、よって可視光の範囲で中間的な光を吸収する様な組織は古代の地球生態系の一角を奪っていたかもしれないが、それが少し波長の異なる日陰や日向では直ぐにグルコース生産能率に劣り広く分布できないことからやがて、目立たないか或いは始めから存在しなかったかの様に緑の植物に置き換わってしまったと考えられる。しかしもし自然が多様さの節約といういわば自然に逆らうことを熱力学に反して行わなかったならば、我々は確実に地球のどこかに葉緑素ではなくてカロテノイドを含む葉青素またはカロテノイドを退化させてクロロフィルに特化した光合成用原核細胞を持つ原始植物が生き延びていることを予測できるだろう。自然界のどこかでのこれら希少な変異種の発見は、葉緑素の進化合理性を裏付けとして証拠する役に立つだろう。