2008年3月1日

ODAの矛先思案

我々は絶えず脱構築さるべき正義の為に貢献する。

孔子曰く後生畏るべし、と。
凡そ後発国の方が、様々な援助や優れた先哲が踏み分けた整備済みの街道を通じて、先進国が辿ってきたより素早く発展することができるだろう。

従って、我々は後発国との文化的な共生を尚ぶ。
 日本人からのODA支出は、みずから立ち上がりつつある優れた力量のアジア諸国に対する分を、彼らと共に商業を営むに併せ徐々に減らして、むしろこれまで世界史上で極めて弱小な経済力しか持たされなかったアフリカの人々に積極的に分け与えねばならぬ。
 富の偏在はもののあわれに流れる只の自然に過ぎず、『浄財』により人類産業間のbalanceをいまや回復せねばならない。

 日本を訪問なさり、「勿体無い」という我が国に古来の言葉を尊んで行かれた、至極丁寧なる客人たるケニアのワンガリ・マータイ氏へ、建国に緻密な討議の必要な事を未だ憶えない無頼の徒から、殺害脅迫文が届いたと極東にあれど新たに聞く。
このような悲惨な情況にありて政権をきちんと立て直すには、専ら国民の識字教育度を少しずつ向上させるようにしなくてはよくない。
そしてこの為にはnoteや鉛筆、教科書や黒板など、豊富な場所にとっては極めて安価なものを援助するだけでも、決して余程足りなくもないのである。
 経済大国と呼ばれざるをえない日本人の《贅沢》こそは、国民みずからを厳しく戒めるべきだろう。質素は華美よりきれいである。
たまたま与えられた一時の幸運な地位に奢り、アフリカ諸国に足りないものを簡単に捨てて省みない者は、果たして天からどう見えるであろうか。