2008年2月23日

哲学の解釈

哲学は、コントの実証説に倣い、数学・天文学・物理学・化学・生物学という基礎科学の最後に位置する、社会学の最終的実証過程にすぎない。そして社会学は近代文明が抜本的に革命されないかぎり永久に完成せず、又我々が必ずや完成させるべき当為として働く。
 したがって、芸術とは社会学の導く環境技術というべき。かつさまざまの芸術が政治的実践を通じて社会化されていく過程をわれわれは経済とよぶ。単に純粋芸術とは究極ではそれら、文明に対しての学術基盤を、とりあえずもっともsimpleな審美環境の典型として提示する機構にすぎない。判断力と趣味をまとめる感情とは、ある個人が属する構造としての時代思潮そのものだ。
 ある時代様式が別の時代には変容する理由も、科学的脱構にともなう必然な思想革命によって、やがてはそれら科学の実践総合たる哲学、社会学にも変更があるから、として説き明かされる。
 以上から、我々は理論理性、純粋理性、悟性、と実践理性とが、たんに同じ理性の側面に過ぎないと分かる。それらは同じtheoria、理想の立場にもとづくからだ。さらに、この理性は、技術理性としての感情をはぐくむ訓練であると考えうる。人格は単に理性的だから尊敬できるのではあるまい。沈黙した偶像ほど誤解されやすいものはない。我々は飽くまでも多彩な理性を裕かに表現する能力をつうじて、あまねく人間性を確立していくのだから。
 こういう意味で文明とは単に経済芸能の舞台。その演劇が見事であればあるだけ、かの国柄は世界中の尊敬を集めることだろう。