現代国家の経世済民にとって、農・工・情の三面等価は普遍的な命題。国家とは農業・工業・情業の均衡によってのみ持続可能性をもつ。
如何なる国も貿易のみに産業を依存してはならない。それは国家が本性として含む功利性のさなかで、恐慌により生命線を塞がれ沈没する危険を意味するだろう。如何なる独立国も、貿易とは単なる国家産業育英の手段に過ぎない。例えば第三次産業としての情業だけに特化した国は、競争国の作為によって貿易ルートを断てば日用消費材の不足から容易に困窮に追い込まれうるかもしれない。よって進化そのものは国家の目的ではない。それは只の生態種別に過ぎない。
事実、民族共生のためにしつらえられた国家というnation stateは、人類が互いを人格主義関係へと高めるための舟の様なもの。様々な国土の舟が地球と呼ばれる湖の上に偏在している。そして彼らはみずからの船内で生活を営むと同じく、他の船体へと講和をもちかけ様々なめずらしい物品を交易する。それが国際関係。よって、ある舟には不足している物品は可能な限り、他の豊富な舟から輸出されて然るべきだろう。これが貿易の必然と呼ばれる。そして文明度が商才に働き、その際の取引価格に差額を儲ける。
だが、点在ないしは隣接して浮かぶあらゆる舟のあいだに一定の慣行ルールが確立されない限りは、これが飽くまで舟同士の私的連携たらざるを得ないのは当然だ。従ってここに強大な戦艦に対して、卑小な漁船が少なくとも貿易上で公平な立場にまわる為に、諸国の同和による国際連合が要請される。けれどこの連合は、互いにことばを通じない舟ぶねの乗組員たちにとって極めて難関。なぜなら彼らは言葉ばかりか互いの文化慣習も異なっている。よって、この翻訳媒介として文学が要請される。我々は口語を通じあわせることがむずかしいにせよ、とりあえず翻訳した異国の文章を頒布することで互いの文化慣習だけは想像しあうことはできる。
やがて彼らは国際関係として信頼感をもちあう。そして貿易協定とかunionとか様々な形での協力を図ろうとする。なぜならある舟にあって他の舟にはないものはその文化に位相差延が残る限り必ず存在し、それらのpositiveな交易がたんに商人の差額商売の企みの素のみならず、彼らの国内産業育成にもカンフル剤となる。